コラム
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2013/2/13
1194    未来を託す人

教師は生徒がいるから授業ができます。お坊さんは信者がいるので説法をすることができます。政治家は支援してくれる皆さんがいるので演説をすることができます。話をする立場の人も聞いてくれる立場の人も、どちらも大切な存在なのです。聞いてくれる人がいなければ、教師やお坊さんや政治家が一人で話していても何にもならないのです。

教師にすれば、教室に生徒がいてくれるから自分が学んだことや経験したことを次世代に伝えることができます。自分が学んだことを次世代に伝えることは、人としてしなければならない使命です。学んだことや経験したことに対して、誰も関心を示してくれなかったら、誰も聞いてくれなかったら、誰も受け取ってくれなかったら、こんな空しいことはありません。自分の存在意義は、自分が考えて行動して得たことを未来に残すことにあります。何も残せない人生は空しいものです。

ですから教師にとっては、生徒がいることで自らの知識や経験を伝えることで未来に自分の存在を伝えられるのです。生徒がいなければ伝えることができません。生徒が教師から大切なものを受け取って未来に伝えてくれるのです。

そうすると教師は、自分が得たものを生徒に分かりやすく伝えることが必要だと気付きます。分かり易く理解できるように生徒に伝えなければ、生徒の頭に知識や知恵として残りません。

未来に託すことが教師の使命だと思うなら、教師の役割は生徒に分かり易い授業をすることだと理解できます。分かりやすく理解できる授業をするために教師は学問を学び経験を積んでいるのです。

お坊さんも長く厳しい修行を積んでいるのは、信者を初めとしてお坊さんが学んだことを伝えるべき相手がいてくれるからです。誰にも相手にされないお坊さんはどれだけ高層であったとしても、未来に自分の持っているものを残すことはできません。多くの人に仏様からの教えを伝えることがお坊さんの役割です。

政治家も支援者がいてくれるので存在意義があるのです。尤も、支援者がいなければ政治家にはなれませんから、最低限自分の思いを伝える相手がいてくれます。そんなみなさんに自分がしてきたこと、これからすべきことを分かり易く伝え、共に未来を創る役割を担ってもらうことが政治家の役割です。人に影響を与えられなければ政治家ではありません。

伝える相手がいること。話を聞いてもらえる人がいること。それは未来に自分が存在していたことを託すことができるとても幸せなことなのです。

教師が生徒に難しい授業をしても無駄です。お坊さんが理解できないような難しい教えを伝えても意味はありません。政治家が夢や希望、期待感を伝えられなければ忽ち失望されてしまいます。

自分の得た知識や経験を未来に伝えてくれる人が存在してくれていることが有り難いことなのです。そう考えると生徒や信者、支持者は、未来にその教えを伝えてくれる先生なのです。年下の人や後輩は自分にとっての先生であり、未来を託す人達なのです。