平成25年1月6日。父親が日赤の病室で誕生日を迎えました。昭和6年1月6日生まれですから、82歳の誕生日を迎えました。平成24年末から入院していたこともあり、82回目の誕生日は病室で迎えることになりました。子どもというには無理がありますが、子どもの立場でお見舞いとお祝いに行きました。
病室での何気なく他愛もない会話が心に染み入ります。かつては怖かった父親が、子どものような顔で、ベッドの上で少し窮屈そうに話をしてくれます。
父「今日は誕生日やて」。
私「あれっ、分かっていたの?(僕は)知っているよ。82歳だから、おめでとうと言いに来たよ。何も食べられないし、飲み物も決められたもの以外は駄目だから何も持ってこなかったけれど」。
父「82歳か。言わんといて―微笑み―。働いている時が一番良かったわ。病気になってそう思う。社長から工場長やれと言われたけれど、嫌だから断ったけどね」。
私「断らなかったら良かったのに」。
父「年金は34年も掛けたから、長生きしないとな」。
私「34年も掛けたの。それは凄いわ。働いて掛けた分、もらわないとね」。
父「早く帰りたいけれど、ちょっと難しいかな」。
私「歩く練習も必要だし、リハビリをした方が良いと思う」。
父「なかなか帰れないかな」。
私「今の時期はとても寒いので、病室にいる方が過ごし易いので、今は治るまでゆっくりしておこう」。
父「そうやな」。
私「トイレは大丈夫。歩いていける」。
父「そうやな」。
私「今日、熱はない。昨日はしんどそうだったから」。
父「そうやな」。
私「昼間寝ていると、夜に寝られなくなるよ」。
父「それは元気な時だけの話。病気になったら、とれだけでも寝られるもんやから」。
私「そう。寝られるのだったら良いけれど。音楽は聴く?」
父「今日はええわ」。
私「テレビは見る?」。
父「今日はええわ」。
82歳を迎えた父親との病室での会話です。本当に他愛もない会話ですが、貴重な時間でした。もっと大切な話を、いっぱいしておいたら良かったなぁと思います。少し知識が目減りしてきたようです。しかし幸せを感じるのに多くの言葉はいらないことを知りました。
そして他愛もない一言が、どれだけ重いものであるかも知りました。