コラム
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2012/12/19
1166    心の中のコップ

人の意見を取り入れるためには、自分の心の器を空にしなければならないと言います。自分の心の容量を1リットルのコップだとします。そのコップが満杯であれば、どれだけ素晴らしい意見を聞かせてもらったとしても、今以上に受け入れる容量がないのです。つまり自分の心が自分の思うことで一杯であれば、人の意見を聞き入れる余地がないことになります。

ですからコップの中の水を捨てなければ新しい水を受け入れることができないのです。ここで言う水とは心であり、心に他からの意見を受け入れる余裕が必要なのです。

理想はコップを空にすることですが、自分という存在がある限り心のコップをカラにすることはできません。ですから他からの意見を受け入れるためには、コップの中の水を純粋なものにしておく必要があります。

もしコップに飲み残したジュースが残っていたとします。ジュースの中に違う種類の飲み物を入れたとしたら、味も香もぐちゃぐちゃになり飲めるものにはならないのです。コップを空にできないとしても、せめてコップの中にジュースなど飲み残しのないようにしたいものです。

他人の意見を聞き入れる余地があるように、心を純粋に保っておくことで他からの意見を受け入れ吸収する余地があるのです。心が純粋であるということはコップの中には純水が残っている状態です。ここにジュースやコーラを注いだとしても問題はなく、新しい領域を広げることができます。純水はどんなことにでも対応できるからです。

ところが排他的な考え方というジュースが残っている場合はやっかいです。今以上、伸びる余地はないからです。伸びる余地がない人物は人をひきつけることはできません。今以上に伸びる要素を持っている人が魅力的な人物なのです。それは心のコップが空に近い状態、または純粋が残っている状態であることが必要なのです。

リーダーは他の意見を受け入れることができる人のことを指します。そしてリーダーは1+1を2にしないのです。1+1を5や10に発展させてくれる人物がリーダーなのです。1+1を2にすることは誰にでもできることです。ところが足し算の解を求める答え以上にできる人が、リーダーの素質を持っていることになります。

自分の心が自分の枠の中でだけ存在しているならば、足し算の結果は足しただけの結果が導かれるだけです。でもコップの容量に余裕があったり、仮にコップが満ちていても何とでも交じり合える純水であれば成長の可能性があります。

自分の常識を捨てないまま、他の人の意見を受け入れることはありません。心のコップを空にして受け入れる余地を残したまま人と接したいものです。

ミックスジュースがおいしいのは、色々な素材を受け入れて自分のものにしているからです。ピュアな心を発展させるためにはミックスジュースを作るように、他からの意見を受け入れて自分のモノにする必要があります。

何でも変化できることは強みです。心のコップ状態を何でも受け入れるように保つためには、容量を減らしておくことや飲み残しのない状態にしておく必要があります。