コラム
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2012/10/25
1132    社会へのご恩返し

残念ながら、多くの人は偉人として歴史に名前を残すことはできないのです。和歌山県で言うと、松下幸之助や南方熊楠になれる人は稀な存在です。人は歴史に名前を残したがりますが、歴史上の人物になれる人は極めて少ないのです。

ですから、せめて社会に恩返しをする気持ちで生きたいものです。人が生きていられるのは多くの人が助けてくれているからです。助けてもらった人に対してご恩返しをすることは中々できません。それは自分が成長過程にあるとすれば、導いてくれた人を追い越すことは簡単なことではないので、いつまで経ってもご恩を返すことはできないのです。ですから誰かから助けてもらった場合は、その人に返せないとしてもお世話になった人が存在している社会にご恩返しをすべきです。名前を残せないとしたら、せめて社会に尽す生き方をしたいものです。

その姿は身の丈に合った生き方であり、姿の美しい人としての生き方なのです。自分ができる範囲のことを成し遂げ、余力があればその分を社会にお返しをする姿勢。誰に見られても、誰に指摘されたとしても美しい姿の生き方をしていれば、立派な人だと評価してもらえます。美しい姿は社会にとって必要な姿なのです。社会は美しくありたいと思っていますし、美しい姿のあるところには美しい人が集まっています。

自分だけが、自分のところだけは美しく保てたら良いという考えは、社会全体の姿を低下させることになります。自分も相手も、自分のところも隣近所も美しく保つことが社会の価値を高めてくれます。自分の家だけが美しく保たれていても、まちは全体が汚れていればスラム化します。隣近所が美しく保たれることで治安は保たれ、地域の価値は上がるのです。

そして社会の価値を高める原点は自分から始めることにあります。他人のことを言っている人は美しくありません。「あの人がやってくれないから」だとか、「何故私だけがやらなければならないの。あの人はやらないのに」という言葉を美しいと感じる人はいない筈です。

損得で考えるから他人のことを批判したくなるのです。自分がやればやがて周囲も動き出します。

ある小学校に勤務している人は、生徒と一緒に生徒ホールで昼食を食べています。食べ終えると布巾を持ち出して、自分の食べた机を初め、生徒ホールの全ての机をきれいに拭いています。生徒ホールの机という机が美しくなると不思議なことが起こります。生徒の食べ方が美しくなるのです。生徒は食事をしても溢さないし汚さなくなるのです。仮に汚したとしても自分で拭き取るのです。この人が勤務するまでは、生徒ホールも廊下もゴミや汚れだらけでした。最初の一人が学校内を美しくするための行動をすることで、生徒も学校を美しくする気持ちが芽生えたのです。

この人が学校を去る時が訪れても、生徒が卒業して入れ替わったとしても、この伝統は保たれる筈です。名前は残らないけれど、お世話になった学校内に美しさと心のきれいさを残したのです。自分がやったことに対する直接的な見返りを求めないで全体のレベルが高まること。社会へのご恩返しとはこのようなものです。