コラム
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2012/10/23
1130    お蔭様

和歌山市内にある西本願寺岡崎支坊。毎年春と秋に寺院内でライブがあり、参加しているのですが、お寺とライブの組み合わせはとても新鮮です。冒頭、会場を提供してくれている関係から挨拶をしてくれていますが、いつも素敵な話を聞かせてくれています。

お陰についての話がありました。お寺にお参りする時やお墓にお参りする時でも、「来てあげている」だとか「お参りしているのに」などと思っている人や発言する人がいるようです。「してあげている」と思っていることは感謝の気持ちを持たないでお参りしていることです。順序が逆なのです。お参りさせてもらえることが有り難いことだと感謝する気持ちを持つことが先なのです。感謝の気持ちを持つことがお参りする意味なのです。

「何かを与えて下さい」だとか「ご利益がありますように」と思ってお参りするものではなくて、「お陰様で」という感謝の気持ちを伝えるためにお参りしていることを忘れてはいけません。

お墓参りをする時は感謝の気持ちから入るべきで、形式的になってはいけないのです。一人でもご先祖様が欠けていたとしたら、現在、私達は存在していないことは確実です。ここに存在しているのは、ご先祖様が生命をつなげてくれていたからに他ならないのです。生きることに価値は無いと考えたり、生きることを放棄するようなご先祖様など、生命を粗末に扱うご先祖様がいたとしたら、私達はここに存在していないのです。

生命をつないでくれたお陰でこの場所にいさせてもらっているという感謝の気持ちを持つべきです。

「お蔭様で」という気持ちでライブに参加していると、この場所での演奏家のメッセージを受け取ることができます。音楽は騒いで楽しく過ごすだけのものではありません。季節や場所、歌の選曲やメンバーは、伝えたいメッセージによって違っているのです。2012年の秋のライブでは、何を参加者に伝えるかを考えて選曲やメンバー構成を考えていることを知りました。

今回は、平和な平成の日本で季節を越えて生きられる喜び、日常生活の中でも音楽を聴ける社会に生きている感謝の気持ちなどを伝えてくれたように思います。ご先祖様の時代は簡単に音楽を楽しめる時代ではありませんでした。地元地域である岡崎支坊でライブ演奏を聴くことができることは、正に有り難いことなのです。有り得ることが難しいことを有り難いと言いますが、地元のお寺でライブ開催と聴けることが有り難いことなのです。

主催者の動機、お寺の協力、そして開催に漕ぎ着けるまでの協力者がいて、毎回ライブが出来ています。主催者は聞いてもらえて有り難いというお陰様の気持ちで演奏してくれています。何故なら2012年の秋の演奏を聴いてもらえるのが最後になる人がいるかも知れないと思っているからです。長い人生の中ですが、地方都市にいるとライブを楽しめる機会は多くはありません。

出合えたことに感謝、演奏できること、聴けることに感謝。そしてお寺で交流機会があることが有り難いことなのです。小さな秋のライブはお蔭様と感謝の気持ちが溢れました。