コラム
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2012/10/22
1129    歓喜

人はそれぞれ人生で追い求めるテーマがあります。私の場合、それは歓喜だと伝えてくれました。人生において歓喜を得られるようなことに挑戦することが生きている意味だということです。

歓喜とは喜びや楽しさの次元ではなく、それらを突き抜けた次元のものです。喜びや楽しさの上の次元にくる、溢れるような感動が歓喜だということです。一体、何を目指したら歓喜に辿り着くのでしょうか。何を達成すれば歓喜の瞬間は訪れるのでしょうか。今は分かりませんが、おぼろげながら見えるものがあります。

今までにもたくさんの喜びと楽しさを感じてきました。その全てが素敵な思い出であり、今の自分の魂の一部になっています。魂のレベルは喜びと楽しさ、感動によって磨かれ高められていると思います。

つまり歓喜とはたった一度の瞬間で味わえるものではなくて、もっとたくさんの喜びと楽しさを味わい、喜びと楽しさの土台を築くことがスタートだと思うのです。つまり一人だけの喜びと楽しさではなくて、一緒に夢を追いかけてくれる人がいること。そして目指すものが達成できた時に一緒に喜びや楽しさを感じてくれる人が多いほど、歓喜という場面に近づくような気がします。

たった一人で歓喜に辿り着いた人はいないと思います。分かり易い例を出すと、甲子園の優勝、オリンピックの金メダル、ノーベル賞受賞、みんなから支えられた現役時代を退く瞬間。こんな場面は一人で辿り着けませんし、創ることもできません。達成の瞬間に至るまでには多くの人の支えと励ましがある筈です。

そしてもうひとつの要素があります。時間です。長い時間をかけて達成するものは、簡単に達成できるものよりも喜びは深いのです。1年でできるものよりも10年かけて達成するものの方が感動は大きいのです。

最低5年は継続しなければ実りはないと言います。何かをモノにしようとすれば5年は継続する必要があるのです。逆に言えば5年継続できるならば絶対にできるのです。5年を日数に置き換えると約1,800日です。1,000日続けると一流の仲間入りができると聞くことがあります。1,800日はその上を行く日数ですから、目指しているものを達成するために必要な時間かも知れません。そしてそれだけの日数を継続して目指しているものが達成できたとしたら、その瞬間が歓喜の瞬間なのです。

ブレーキを踏むのではなくてアクセルを踏み込むこと。心配するのではなくて楽しみを感じること。不満や愚痴を言うのではなくて、希望や明るい未来を語ることを心掛けたいものです。全ては思った通りに進みます。心配するような事象があれば、それは神様のいる場所に置いて行けば良いと伺いました。祈りと実りの場所である神社はそのために存在してくれているのです。

人生で歓喜の瞬間を味わうためには、毎日の中で他人と共にある喜びと楽しさを見つけること。そして目指すべきものを達成するために継続した時間を費やすことです。