コラム
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2012/10/19
1128    祈り

和歌山県が誇る世界文化遺産の紀伊山地の霊場と参詣道。紀伊山地を代表する世界文化遺産がかつらぎ町にある丹生都比売神社です。ここの丹生宮司さんの話は、何時聞いても勉強になります。単に知識を得るだけではなくて、神社から見る世界観も教えてくれるからです。

例えば参拝についてです。神様に対して二礼二拍をしてお願いをする時、何をお願いしますか。お願いする順序があるのです。この順序を誤ると神様は願いを聞き届けてくれません。

では神様にお願いする順序を記します。

1.国の安泰を祈ること。

2.ここにいる人の幸せを祈ること。

3.自分の願いを祈ること。

祈りはこの順番にすることです。国の安泰、周囲の幸せ、そして自分のことの順番が正しい祈りの姿です。順番を違えると祈りは神様に通じません。東北の大震災の時も天皇陛下は神様に国民を助けてくれることを祈ったと聞くことがあります。天皇陛下は自分のことより国民のことを第一に考えて祈りを捧げてくれているのです。祈りとは神様に届けるものですから、全体の幸せを祈ることが大事なことです。自分一人だけが幸せになろうと祈りを捧げても神様は聞いてくれることはありません。

国があり地域があり、家族や友人があり、そして自分なのです。国の先には世界があり宇宙があります。大きな秩序が平和で安泰に保たれていることが、自分も幸せになるために必要なことなのです。国が混乱しているのに自分一人だけが幸せで悠々とできることはありません。社会が乱れているのに自分が幸せだと感じることはありません。家族が不幸なのに自分が幸せだと感じることもありません。

でも自分が幸せで周囲に幸せをもたらせてくれるのであれば周囲は幸せになれます。自分が幸せで社会のために尽くすのであれば社会は幸せな方向に向かいます。そして自分が幸せで国のために尽くせるのであれば国は良い方向に向かいます。

でも自分の力で周囲を幸せに、社会を幸せに、そして国を良い方向に向かわせるのは、世界が広がるほど難しい作業になります。自分が社会や国を動かせるだけの力量が必要となるからです。

ですから祈りを捧げるのです。神様に先祖に、そして自然に対して。全体の幸せを祈るから祈りの時間は長くなります。そして自分の幸せだけを祈るだけよりも、世界の幸せを祈れる人の方が素敵だと思います。

弘法大師は全てのものの中に仏様があると話したそうです。その心は、広い宇宙の中で他人のために尽くせるとしたら、その人はもう神様や仏様の領域に達しているということです。

人のために祈ることはそれほど難しいことなのですが、国のため世界のためにだったら祈ることができると筈です。自分が存在している場所が平和で笑顔の場所にすることが、自分の幸せにつながると思えるからです。同じように他人の幸せを祈ると、その人も私の幸せを祈ってくれるのです。祈りの力は宇宙に働き掛けて人の心を動かす強さがあるからです。