コラム
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2012/10/18
1127    最後の授業

元カーネギー・メロン大学のランディ・パウシュ教授の最後の授業。スポーツ選手の試合場が舞台であるように、歌手のステージが舞台であるように、大学教授の舞台は教室で、教えることが役割であるとして、癌を宣告されてから最後の授業に臨みました。2007年9月18日の出来事です。

自分が同じ立場であれば最後に何を伝えるのか。どんなの話を残すかと考えながら「最後の授業」を読みました。教授は最後の授業に悔いを残さないよう人生で学んだ全てを詰め込みました。約1時間の授業を、将来、子ども達に見せるために全てを伝えようとしたのです。

1時間に人生の全てを詰め込められるのかという疑問に対しては、では1時間自分の人生で得たことを話してみて下さいと言われた場合のことを想像すると分かります。1時間、自分の人生や哲学、そして伝えたい思いを話すことは難しいことだということが分かります。

ある有名な作家が、「自分の人生をCDに録音してみて下さい」と言われて挑戦したことがありました。「これだけの経験と知識を得て、本も書き記してきた」のですから、相当の自信があったようです。「僕の人生を語り出したらCD10枚くらいは必要かな」と思って語り始めたところ、全てを語り終えたのに1枚のCDに録音できただけだったのです。「たった1枚のCDが僕の人生なのか」と思いショックを受けたのですが、そこからの活躍はより素晴らしいものに変化しています。そう自分が主役の物語を残すことは、行動を起こさないことにはできないものなのです。

自分が得たものを自分の言葉で話し相手に伝えるには、毎日の生活や仕事を通じて学び、今日よりも明日に向けて成長しなければならないのです。しかも記録をしておかなければ、昨日のことは忘れてしまっています。自分が行動に移して食べたメニューでも忘れる場合があります。まして頭で考えたことや思ったことは、夜寝て朝起きるとすっかり忘れてしまっています。思ったことや学んだことは直ぐにメモをすることです。記録を残すことが考えることであり、成長の印になるのです。

1時間人生で得たことについて講義をして聴衆に納得してもらうためには、自分の成長の記録を残しておかなければできないことです。人は完成されたものの凄さを教えてもらっても感動しません。成長していない人の話を聞きたいとは思いません。人が聞きたいと思うのは、人が夢を持ち努力をしながら成長する過程であり、その結果から見つけた人生の答えなのです。努力しながら成長する姿は誰が聞いても感動するものです。

と言うことは、毎日が努力の結晶であり、日々成長を続けていることが人生の目的だと思うのです。そして社会的には決して高いところまで辿り着けなかったとしても、昨日より今日の方が成長している姿があれば、人はその努力の過程を聞きたいと思うのです。

そして努力の過程で得るものがあります。それが人生の宝物であり、人に伝えるべきものなのです。人生の宝物を最初から手にしている人はいません。それは努力と成長の過程において得られるものなのです。自分が立つ最後の授業の舞台では、私たちが人生で、どのようにして宝物を得たのかを伝えるべきで、何もないところから得た宝物こそ残すべきものです。