コラム
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2012/9/4
1104    お墓参り

平成24年の夏のお盆、母親方のお墓にお参りに行ってきました。父親方のお墓参りは良く行っているのですが、母親の先祖のお墓参りは久し振りのことです。お参りに行けていないことがとても気になっていたのですが、ようやく実現しました。但し、この表現は正しくないのです。行くと思う気持ちがあればいつでも行ける機会があるのに行けなかったのは、その気持ちが薄かったことが原因です。それは良くないので今日は行こうと決めて実行しました。

今日行くと決めたのは理由があります。ひとつは先祖を大切にすることはとても大事なことであり、両親のご両親のお墓参りをしなければならないことを諭されていたことがあります。「父親方のお墓参りだけでは駄目ですよ。知人からは母親方の先祖がなければこの世に生を受けていかったのですから」という教えも頂戴してから気になっていたのです。

もうひとつの理由は、戦時中の母親の疎開先である紀の川市を訪ねた時に、当時、中学生だった母親の様子を聞かせてもらったことも原因です。戦争に負けないような強くて優しい御祖母さんのことを思うと、直接、お墓の前に立ち感謝の気持ちを伝えたいと思っていたからです。

そしてお墓参りに行きました。行って本当に良かったと思っています。心がすっとして、新しい世界に立っているような気持ちになっています。子どもの時は時々お墓参りに連れて行ってもらっていました。先祖に感謝するという理由も分からないままに連れて行ってもらっていたことを覚えています。そして前回、ここにお参りをしたのは社会人になった時だったと思います。社会人になった報告に訪れて以来かも知れませんから、随分長い時間が経過したものです。これだけの長い時間、来ていなかったことをとても反省していますし、戦争中を強く生きてきた御祖母さんに対して、随分寂しい思いをさせてきた孫だったことも反省しています。

生命を伝えてくれた恩人に対して感謝の気持ちを捧げにきました。お墓の前に立つと自然に涙が込み上げてきました。今まで守ってくれたことに対して、戦争前後を強く生きてくれたことに対して、そして母親を生んでくれたことなど、38年間生き抜いてくれた全てに対して感謝の気持ちが込み上げてきました。

お花、お線香、お水の全ての行為が意味のあることに思えました。本当に長い間、来られなくて、ごめんなさいと思いました。一緒に行った母親がお墓に向かって「(これからも)守ってあげてよ」と一言。世界で一番強く清らかで正しい一言に感動しました。守られていること、守ってくれる人がいることに強く感謝することができました。

会ったことのない御祖母さんはどんな人だったのでしょうか。容姿も性格も分かりませんが、今も生命の中で存在し続けてくれています。命の輝きを受け継いだ者として、輝きを増して生き抜きたいと思います。

そう言えば本日8月15日は終戦記念日です。戦後67年が経過しています。当時の母親は10歳、それから67年が経過した夏になります。過ぎてしまえば苦しみや悲しみも一瞬です。これからの良き人生が今日を祝福してくれています。とても素晴らしいお墓参りの瞬間、爽やかな風が吹き抜けたように感じました。