コラム
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2012/6/21
1060    天下国家

ふとしたことでご縁をいただいた方がいます。実業家であり東京の大学でも週に一度教壇に立っているIさんがその人です。時々、東京から手紙を書いてくれています。その内容が素晴らしいく、それを読むと奮い立ちます。

最近いただいた手紙の中から一部を紹介します。

明治生まれの父親に育てられた私はよく言われたことがあります。「日本男子たるもの、天下国家を論争するならまだしも、些細なことで喧嘩をするな」と叱られたことは多々あります。また悪いことをした場合、「日本人として恥ずかしくないのか」、「日本人にあるまじき行為だ」と叱られたものです。現代の日本で天下国家を論じることは死語になりました。また「日本人としてのプライドはないのか」と叱る親もいなくなりました。しかし私の大学の講義を受講している中国の留学生たちは、よく天下国家を論じています。そして中国人であることに大変な誇りを持っています。

中国の留学生を引き合いに出さなくても、私たち日本人は天下国家を論じても良いと思います。日本字としてのプライドをもっと誇示しても良いと思います。

しかし日本全国で起きている東北の瓦礫受け入れ処理反対運動を見ると、何時から日本人は自分さえよければの民族に成り下がったのかと悲憤慷慨に耐えない気持ちになります。良いか悪いかといった次元ではなく、中国には明確な国家戦略が見えます。それに対して日本は情けないとまでは言いませんが、国家戦略が欠如しているように思います。

要約していますが、以上のような内容の手紙です。こんな手紙をいただけることは勉強になります。年齢を重ねると気力が衰え、「まぁ、言わなくても良いか」だとか「今更やっても変わらない」など諦めの境地に入る人が多数存在すると聞くことがあります。天下国家よりも自分のことだけを考えるようになっていくのが年齢の仕業です。

ところが手紙をくれているIさんは大病を患い入院、手術をした直後からでも大学の教壇に立ち学生達を前にして天下国家を話しています。私もIさんのお見舞いのため東京都内の病院を訪れたことがあります。その時もベッドから起き上がってくれて、日本が危機に直面している排他的経済水域(EEZ)の問題について講義をしてくれました。気力、迫力、そして国を思う気持ちが伝わってきました。その時、自分を育ててくれた日本に対して愛情があり、日本人としての誇り持っていることを感じました。

本来であれば手術を控えて気力も体力も萎えている時期ですが、病気を恐れず、自分のことだけではなく国を守ることの大切さを伝えてくれたのです。大病の最中、お見舞いに行った病室で排他的経済水域を守って欲しいという病人に会ったことはありません。これからもそんな機会はないと思いますが、それだけ日本人のとしての仕事、誇りを持っているのです。

Iさんはかつてビジネスマンとして、世界の国々発展のための開発事業に投資をしていました。日本の投資が開発途上国の幸せにつながっていることを実感していますし、日本が世界に果たせる役割を信じています。ところが今ではその役割を中国が果たしています。日本に取って代わって中国が経済力を持って開発途上国の支援を行っているのです。しかし多くの国は日本という国と日本人を信頼しています。日本人に支援してもらいたいというメッセージも寄せられています。日本人はそれに答えられているのか、日本人は幸せを築こうとしているのか、考えさせられます。

日本人としての誇りと気概を持って、世界を視野に入れた考えと行動をしたいものです。