コラム
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2012/6/13
1054    従僕の目に英雄なし

「従僕の目に英雄なし」という諺があります。この言葉に関してドイツの哲学者のヘーゲルは「それは英雄が英雄でないからではなく、従僕が従僕だからだ」と補足したと聞きました。

私達は「英雄なんてたいしたことがない」と思う場合があります。顕著な例が現代の風習です。立派な立場にある人を指して「あの人は能力がない」、「政治家としては物足りない」、「何をしようとしているのか分からない」などの批判をする場合もあります。

しかし自分がその立場にいないのに、その立場の人の考え方や苦悩、判断の根拠をすることはありません。決断に至る背景や、どこまで先を読んだ判断なのか、そしてその考え方の底にあるものを知った上で、その判断や考え方は間違っていると思うと言うことは出来ますが、そうでなければ批判をすることは格好の良いものではありません。判断する際の見え方、見方が違うからです。

この話を議会報告会で行いました。ある会社経営者が頷いて聞いてくれました。そして自由懇談の時間にコメントをしてくれました。

「その考え方はとても良く理解できます。会社組織においても段階があります。社長、部長、課長は、その立場が違うので見え方が違います。同じモノを見ても、同じ事象に遭遇しても感じることが違うのです。感じることが違うと下す判断も違ってきます。立場によって見方や考え方は違うのです」というものです。

同じモノを見ても同じ事象に接しても感じ方は違いますから、判断を下す条件が違ってきます。つまり社長の判断と課長の判断は違ったものになります。高いところから見ているのか、低いところから見ているのか。将来の会社の姿を想像しているのか、今だけを見ているのかによっても判断は違うのです。

社長の判断の背景を知ることなく批判をすることは好ましくないのです。同じ会社であれば社長に確認することも可能ですし、大きな組織で社長と話ができないのであれば、直近の人に考え方や判断した根拠などを尋ねたいものです。トップの考え方を知って、自分の判断のものさしに加えるのです。社長サイズのものさしを持つことができたら、徐々にモノの見方が社長に近づいて行きます。社長の全てが正しいとは言いませんが、トップの視点で物事を見ることができたら下す判断が違ってきます。

高い場所に立ち裾野までを見渡せるのがトップの視点。低い場所から障害物を発見し、それを解決するための視点を持っているのが部下の視点です。どちらの視点も持ち合わせたいものです。低い視点で目前の障害を除去しなければ前に進めないと思っていても、山の頂から見た場合、直ぐ近くに迂回路があり安全に進行できるかも知れないのです。

逆の場合もあります。山から見たら谷底が険しくしも、山道を歩いた視点だと自力で歩いて突破できる状況かも知れません。

従僕と英雄、両者の視点を持ち、軽々しく相手を批判しないことです。見方が違うと判断が違うことを分かった上で、立体的、多面的な見方を身に付けたいものです。