コラム
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2012/4/3
1010    人生の不思議

合格できなかった受験生の気持ちをとても理解できます。私も高校受験で不合格の結果を受け取った経験があるからです。中学3年生の受験日を迎える前、理由は忘れましたが、両親との関係がぎくしゃくしていました。その影響かどうか分かりませんが、「受験なんかどうでも良い。落ちても関係ないわ。勝手にしてやる」と思って受験日を迎えました。案の定、受験日は試験に気が乗らず、何となく出来が良くないと感じました。それでも何とかなっているだろうという内心があったのも事実です。ところが発表日も私は両親に対して何か分からない不満があり、合格発表を見に行きませんでした。見に行かなくても合格しているだろうと思っていたこともありました。父親受験した高校の掲示板を見に行きました。自宅に帰ってきて一言「落ちていたぞ」。信じられない思いがあり他人の出来事のように感じました。それなりに成績が良かった生徒だったので、試験は適当であったとしても落ちる筈はないと確信していたからです。

しかし突然、所属する場所がなくなったことに気づき、これからどうしたら良いのだろうと呆然としたことを覚えています。中学生を卒業し高校に入学していない15歳のいる場所は社会にはなかったのです。

そして父親が何も理由を言わないで、「映画を見に行くぞ」と一言だけ言って父親の単車の後ろに乗りました。見に行った映画が「がんばれベアーズ」でした。試合に負けても次は勝つぞと叫んだベアーズに涙が滲んできて、自分は両親に対して「何を突っ張っていたのだろう」と心から反省しました。

今思い返すと、気持ちを入れ替えたこの瞬間から奇蹟が起こりました。志望校が不合格となったのですが、人気の高い筈の同じ公立高校である向陽高校が定員割れとなり二次募集を行うことになったのです。向陽高校が定員割れを起こすとは全く考えられないことでした。ただ定員割れによる追募集はたったの8人。受験志望者は約80人だったと記憶しています。10倍の競争率でしたが「合格する」と不思議な自信がありました。4月直前の合格発表の日、今度は両親ではなく自分で向陽高校の掲示板を見に行きました。どんな結果であろうとも責任は自分で負うべきものだと考えたからです。数名の合格発表ですから人の姿はなかったのですが、自分の受験番号が張り出されていたことを確かめると、やはり嬉しさが込み上げてきました。

自宅に帰り「合格したよ」と両親に伝えると「そうか」とだけ答えてくれました。言葉を交わさなくても十分でした。

3月初旬の高校受験に失敗し、4月直前の二次募集の高校受験に合格した経験を持っている私です。ですから高校合格の嬉しさと、不合格の時の何とも表現できない感情を知っているのです。振り返ると、神様がそれから後の人生を導いてくれているように思います。

中学生の時はそれなりの優等生だった私ですが、高校生になると変わりました。勉強は出来ても出来なくてもそれほど人生には関係なく、人生に関係するのは決して後悔をしない前向きな気持ちを持つことだと早い段階で知ったからです。

楽しい高校生活を第一に考え、今も続く高校時代の友人との関係ができたのも、こんな気持ちを持っていたからです。人生に挫折はつきものです。今なら自信を持って言えることは、「早い段階で挫折を経験することも良い」ということです。そして「挫折をして沈んでしまっては駄目で、早くそこから立ち上がることが人生では大切」だということです。

厳しい精神状態から立ち上がるためには、信頼できる人の助けが絶対に必要です。つまり人から信頼され、困った時には人から助けてもらえることが人生で大切なことなのです。そのためには日頃から人から信頼できる自分であり、困っている人を助けている自分でいることが必要です。日頃から考えていること、実践している姿勢が、そのまま自分の人生の中の出来事として返ってきます。

15歳の春に受験に失敗した私が、今は和歌山県議会議員をしているのですから人生は不思議です。最も第一志望の高校に合格していたら今の自分は絶対にありません。もう人智を超えたものに動かされているとしか考えられない試練や結果が人生を待ち受けています。だから今の心の持ち様が大事なことですし、結果は後からついて来るものだと考えるべきです。