コラム
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2012/3/29
1008    奇跡の会話

平成24年3月7日から入院をしているKさんを見舞いました。ご家族に聞いたところ、今年の1月に入院をしたのですが一度退院し、再び、3月から入院をすることになったようです。そして1月に入院をした時から何も食べていないのです。健康状態が心配でしたが、お見舞いに行った時は、とても元気に話をしてくれました。ただ食べていないこと、水も飲んでいないことから、口の中が乾き舌も硬くなっているので話し難そうでした。舌が亀の甲のように硬くなっていて言葉の滑りが厳しそうでした。

本当に久し振りにお会いして話が交わさせたことを嬉しく思いました。Kさんの奥さんが「章浩くん?」と驚いてくれたように、小さい頃から可愛がってくれました。幼稚園の時は近所だったのですが、当時の我が家は引越しが多く、その後中々会えなくなりました。それでも活動を応援してくれていますし、今も二人から見ると、あの頃と同じ子どものように映っているようで、懐かしく嬉しく感じました。

Kさんのおばさんは話をしている途中、涙ぐんでくれたので、こちらも嬉しさが込み上げてきた程です。そして病床の中からKさんは「身体に気をつけてな。決して無理をしたら駄目ですよ」と伝えてくれました。病床の中から励ましてくれたのですが、どれだけ勇気づけられたことでしょうか。

状態はよくないので、一瞬、もしかしたら最後になるかもという思いが過ぎりましたが、大丈夫であることを信じています。長く生きていた。そのことが素晴らしい冒険であり、人生の輝きなのです。これまで生きてきた証が顔に刻まれています。幼い頃の私に戻った感じがあり、Kさんもあの頃と変わっていないように見えました。

懐かしい人、小さい頃を知ってくれている人が少なくなるのは辛いことです。こうして会うと、一人で大きくなったのではなかったことを改めて知ることができます。多くの人から育ててもらって、大事にしてもらって、心配してもらって、そして可愛がってもらって今の自分があるのです。

かつて現役バリバリだった大人が、人生という長い旅路の果てに辿り着こうとしています。そしてかつては小さい子どもであった私が現役世代として社会に立っています。社会を支え、次の世代を育て可愛がるというバトンを受け継いだことを感じます。

人はたくさんの愛情、微笑みを浴びて子ども時代を卒業します。それらの愛情や微笑の記憶は、地面の下の養分のような存在です。普段は忘れているのですが、いつまでも絶えることなく確かに私を育ててくれているのです。愛情や笑顔、撫でてくれた記憶、大事にしてもらった記憶などが、大切な養分として私の中に充満しています。幼い頃の記憶は枯れることのない養分として存在しています。

青々と茂った巨木のような存在が、少し身体が細くなり弱々しくなっています。命の輝きというか、生命そのものが奇跡であることを感じます。奇跡の存在である私達には、奇跡を起こせる力が宿っているのです。何もできなかった幼い日の自分が、少しだけですが何かに関われる存在になっています。それだけでも奇跡です。これからの軌跡はどうなるのか分かりませんが、人は奇跡の存在であることを忘れないで、多くの人に養分を提供できる存在でありたいと思います。大切な人にいただいたものは、大切な人に譲り渡すことが愛情を受けて育ててもらった人のやるべきことです。

社会の中心に存在している人は誰でも奇跡を起こせる力を持っています。そこにいる間に奇跡を起こさないでどうして生きていると言えるのでしょうか。

PS闘病生活を続けていたKさんがお亡くなりになりました。残念なことですが、きっとこれまで関わっていたみんなに会いたかった気持ちが、病床のKさんを元気にしてくれたのだと思います。「最後にみんなに会えて良かった」とKさんの子どもが話してくれたように、何気ない会話ができることが幸せなことで、奇蹟のようなことだと知りました。

心からご冥福をお祈りしています。感謝の気持ちを込めて。