コラム
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2012/3/23
1004    大切にしてもらった記憶

朝日新聞朝刊に「オトナになった女子たちへ」という連載記事があります。平成24年3月11日付けの益田ミリさんの記事がとても印象に残ります。

自分が大切にしてもらったとても小さな出来事が、オトナの私を構成する要素になっているという話です。

『小さい頃に近所のおばさんに言ってもらった言葉、「上手やなぁ、おばちゃん、そんなに上手に描かれへんわ」。子どもの頃に書いた絵を褒めてもらった記憶。』

『「べっびんさん」と声を掛けてくれた近所のおじさんの言葉。』

『親戚の家で熱を出した時に、冷たいタオルでおでこにのせてくれたおばさんのネギの匂いのする手。』

『自転車で転んで泣いていた時に助けてくれた、お向かいのお姉さんの優しい声。』

そんな大切な「大切にしてもらった成分」が大人になった私に詰まっているから、私は大丈夫だと思えるという考えです。

小さい頃の記憶は忘れてしまっているけれど、何かの拍子に突然、思い出す時があります。それは不思議な感覚で、何十年も忘れていた記憶が今日の出来事のように新鮮に蘇えるのです。益川さんの記事にあるように、幼い頃のそんな些細な出来事を思い出す時を幸せに感じます。

このコラムを書いている私が今の瞬間思い出しているのは、近所の家の玄関で行水をさせてもらっていた時と、行水を終えた後のフルーツ牛乳のおいしさ。たらいに熱湯を入れ、そこに冷たい水を入れて適温にして入った行水。とても懐かしく思い出すと幸せに感じます。その後、行水はなくなり銭湯の時代に入ります。ここでも風呂上りにはフルーツ牛乳かコーヒー牛乳です。牛乳ではなくて、フルーツ牛乳かコーヒー牛乳を飲める時がとても幸せなのです。あの美味しかった味が記憶の中で蘇えります。

今では空き地は少なくなりましたが、昔は私達子どもが原っぱと呼んでいた空き地がありました。誰の所有物か分からなかったけれど、背丈ほどある草むらの中で、チャンバラや忍者ごっこ、三角ベースで草野球をした記憶も幸せな思い出です。空き地で遊んでも注意されなかった時代。子どもの中では、土地に境界線はなかったのです。

近所にあった製材所と材木置き場も楽しい遊び場でした。材木の上を走り回り、材木の間に隠れたり、飛び跳ねたりしたことも、とても楽しい記憶です。鬼ごっこで材木の隙間に隠れて見つからなかったのは良いけれど、出口が分からなくなって泣きそうなったことも思い出しました。駄菓子屋で一つ5円の飴を買ったり、夢中になった紙芝居なども懐かしい記憶です。ビー球遊びや道路に蝋石で陣地を書いて遊んだ記憶も蘇えります。自由で毎日が夏休みのような思い出があることは幸せなことです。

そんな小さな幸せが大人になって長い時間が経過した私の中にも、幸せな成分と大切にしてもらった成分として身体を構成してくれています。そんな小さな成分が今の私を成り立たせてくれています。そんな記憶が蘇えると、自分にも誰かにも優しくなれます。