平成29年2月定例会一般質問 / 質問内容

1.和歌山県の偉人を観光に生かすことについて

おはようございます。先日、アカデミー賞を逃しましたが評判の映画「LALALAND」を観てきました。「LALALAND」とは夢を持った人たちが集まってくる、そして夢を叶える街、ロサンゼルスのことです。和歌山県も夢を持ち、夢の叶えられる県にしたいと思います。

それでは議長のお許しをいただきましたので、通告に従い一般質問を行います。最後までよろしくお願いいたします。

最初は和歌山県の偉人を観光に生かすです。

一般質問をするに際して岡公園を訪れました。同公園内は工事中のため、道路からは陸奥宗光公像が隠れた形になっているので現在は訪れる人は少ないのです。

京都市や高知県ではこの機会を捉え、幕末に活躍した郷土の偉人達に脚光を浴びせて歴史教育や観光資源として活用している都市と比較して、和歌山県に見えるような形での動きが感じられないことを寂しく思います。

高知県立高知城歴史博物館では、坂本龍馬が夢見た「新国家」の記述がある手紙を展示する「幕末維新博」が開催される予定で、全国から注目されています。この「新国家」の手紙は暗殺の5日前に書かれたものです。

坂本龍馬は陸奥宗光を可愛がっていて、龍馬が亡くなる2日前にも陸奥宗光宛に手紙を送っています。龍馬は陸奥を自分の後継者になる人物だと考えていたのかも知れません。

「新国家」の手紙と共に、この手紙を和歌山県で展覧するなど、陸奥宗光と人気の高い坂本龍馬との関連性を伝えることは観光面で効果があると思います。

例えば京都国立博物館で開催され全国を巡っている坂本龍馬没後150年の展覧会の和歌山県内での開催は全国に向けて「和歌山県に陸奥宗光あり」を訴えることが出来ますし、偉人の功績を称えると共に誘客効果があると思いますから、実現可能性を探って欲しいと思います。

また観光の取り組みの一例ですが、高知県では大政奉還と明治維新150周年に向けて、「坂本龍馬脱藩の道」を新しい観光資源として売り出そうとしています。

高知県尾崎知事はこの道を「単なる山道ですが、龍馬はこの単なる山道を通って脱藩しました。龍馬だけではなく、そこで多くの志士たちも命を賭けて脱藩していきました。現地に詳しい人といけば、ここからこう抜けて、ここではこういう苦労があって、ここではこういう人が助けて…という話を聞くことができます。そういった説明を聞きつつ、看板でもしっかり表示すれば、観光客の方に歴史の意義深さが伝わっていきますよね。もっといえば、何気ない山道がとてつもない観光資源に変わるわけです」と話しています。

幕末に注目が集まっている今年から来年にかけて郷土の偉人を発信するために大切で、近年では唯一の機会となります。

和歌山県の志は何か、郷土の偉人から何を学ぶか、偉人の功績を観光にどうつなげていくのか、ここで議論を交わしたいと考えています。

和歌山市は大政奉還150周年記念プロジェクトに参画が決定し、スタンプラリーの冊子が配られ、わかやま歴史館に配置されています。先日、この冊子をもらいに行ったところ、この冊子を求めてわかやま歴史館を訪れている人に出会いました。尋ねると「この後、和歌山城を訪れ、その後スタンプラリーにある各都市を巡ることにしています」という話でした。

既に、歴史好きの人達が大政奉還150周年記念プロジェクトに参加している観光地巡りを始めていることを実感させられました。

スタンプラリーで和歌山市は「龍馬死す」のページ取り上げられています。時代の主役は坂本龍馬の暗殺から、その遺志を受け継いだ陸奥宗光へと移っていくことを感じさせる内容です。

また京都市は、和歌山市の偉人として陸奥宗光や紀州藩14代藩主徳川茂承、三浦安が取り上げています。これらの人物にスポットを当ててくれています。

そして和歌山市の観光地として、わかやま歴史館と和歌山城が取り上げられているので、この機会に和歌山県の観光もこのプロジェクトに呼応したものにしなければ、県内に観光客の誘導は出来ません。

近くにある岡公園にある陸奥宗光像は工事の柵の中に閉じ込められて、観光客がこの像を見つけることは困難で、立ち寄らずに和歌山市を後にするように思いますし、和歌山市吹上にあった生誕の地を示す碑もなくなっているように、近代国家の基礎を築いた郷土の偉人を敬う配慮が欠けているように感じます。

このように、せっかく京都市が3名をピックアップしてくれても、参加している和歌山市は何らこの3名を活かした催しを施していないのが現状です。参加されている他の20市と区は大政奉還に直接関わった偉人の功績を活かした催しを積極的に実施し、観光振興収益に貢献されるように工夫されています。現況の無策状態は和歌山県及び和歌山市の観光振興の収益に生かされていません。これは余りにももったいないことです。

参考までにその3名とは陸奥宗光と次の2名です。

徳川茂承。明治6年、皇居として使用されていた旧江戸城が焼失した際に紀州藩中屋敷 (現 赤坂御用地) を献上して皇室を助け、明治11年には旧紀州藩士族を救済するために徳義社を設立し、貧窮した士族の援助と育成に尽力しています。

三浦 安。大癖省官吏、元老院議官、貴族院議員、第13代東京府知事を勤めています。

そこで質問です。

質問1:「わかやま歴史物語」の考え方と和歌山県の偉人を観光に生かすことについて

和歌山市がこの大政奉還150周年プロジェクトに参加していますが、例えば、幕末維新スタンプラリーで和歌山市観光に来てくれた人に対して、陸奥宗光の功績や生きた足跡をどう見てもらうのか。和歌山市岡公園の陸奥宗光像を観光に活かすためにやるべきことはあると思います。

例えば、平成28年11月10日、外務省内に建立されている「陸奥宗光公銅像」の周りに咲いている桜の枝が、「陸奥宗光公銅像」が再建立されて50周年を記念して、外務省から和歌山市へ贈呈されています。この式典では岸田外務大臣は「私の大先輩である元外務大臣 陸奥宗光公」と尊重して下さった上で「両所を結ぶ象徴」として尾花和歌山市長へ桜の枝が手渡されていますから植樹式典や盛り上げ方もあると思います。

参考までに、和歌山市内の有志の会が陸奥宗光を顕彰する子ども向けの学習会を実施した時の構想から外務省に接ぎ木を要望したものを「わかやま新報」が記事にしました。外務省が岡公園に植樹するために接ぎ木を用意してくれたものを、銅像管理者自治体として市長が受け取ったものです。

植樹をする時には、必ずこの子どもたちとお母さんたちも参加してもらって初めて、次世代に陸奥宗光の精神が受け継がれることになります。

また、先ほど高知県が「坂本龍馬脱藩の道」を新しい観光資源として売りだそうとしていることをご紹介しましたが、単なる山道でもそこに埋もれている歴史を掘り起こし、情報発信することによって新たな観光資源に展開させる好事例だと思います。

或いは、赤坂御用地は江戸時代に紀州藩の持ち物だったことも観光のネタになるのではないかと思います。

これらのことは「わかやま歴史物語」で発信することはできると思いますが、「わかやま歴史物語」の考え方、和歌山県の観光にどう生かすのか、知事の答弁をお願いします。

答弁者:知事

本県の観光客の動きにつきましては、これまで高野山や熊野の世界遺産ブランドを中心に、和歌山の魅力を発信し続けてきた結果、平成27年は国内外ともに過去最高のお客様にお越しいただいたところであります。

このような好機にこそ、自然や歴史・文化といった本県の強みを効果的に活用し、地域に埋もれている素材のポテンシャルを分かりやすく整理し発信していくことが必要であります。

具体的には、現在、展開中の自然を切り口にした「水の国、わかやま。」キャンペーンに加え、新たに取り組む「わかやま歴史物語」において、神話の時代から近代に至る豊富な歴史ストーリーや文化資産、地域食材を活かした食、温泉などを組み合わせた「100の旅モデル」を作成するものであります。

和歌山での新たな楽しみ方をWEB等で広く紹介し、周遊のえる中、こういったモデルを参考にして満足度の高い旅を体感していただけることも期待できるのではないかと思います。

「100の旅モデル」は、陸奥宗光をはじめ幕末から明治維新のお話についても当然に含むべきと思います。お客様が観て学び、楽しんで周遊いただけるものとするため、隠れた魅力の掘り起こしなどもしなければいけないと思います。また歴史等の知識と教養もそのためには必要であります。先ほどからお聞きしておりますと片桐議員の見識も相当なものであると思いますので、このモデルの作成に当たり大いにご意見を賜りたいと思います。

質問2:陸奥宗光没後120年の節目の年の様々な動きへの県の関わりについて

さて、先ほどから申し上げてきたように、今年は陸奥宗光没後120年に当たります。和歌山県として陸奥宗光シンポジウムの開催が決定していますが、偉人の功績を現代に伝えるため企画内容がとても大切なので、是非とも、その点を考慮して進めて欲しいと思います。和歌山市以外での開催やリレーシンポジウムなども検討できると思います。

またシンポジウム開催と共に、「県民の友」に陸奥宗光特集を継続して紹介することも、偉人の功績を伝える良い方法だと思いますので、特集掲載を検討して下さい。

県内には、これ以外にも陸奥宗光没後120年に関する動きがあります。

昨年、和歌山市内で有志によって開催されたシンポジウムでは外務省、文部科学省の協力を受け、両省から講師が来てくれました。今回も同団体がシンポジウム開催を計画していて、「私の大先輩である陸奥宗光公」と話してくれている岸田外務大臣や松野文部科学大臣にもシンポジウムの案内をする予定と聞いています。

和歌山市立博物館では没後100周年記念に開催した「陸奥宗光特別展」を継承する企画として「大政奉還150周年の特別展」が検討されているようですから、県も積極的に協力すべきだと思います。

もうひとつ、陸奥宗光の書籍についての動きです。平成27年度和歌山県文化功労賞を受賞された田辺市出身の作家、大路和子さんの「相思空しく−陸奥宗光の妻亮子−」は女性側から激動の明治時代を捉え、陸奥亮子の足跡を自らすべて取材して作られた素晴らしい長編小説です。

文化功労賞でもその小説を高く評価されての受賞でした。しかし、その小説を出版した会社はなくなり、大手の出版社に引き継がれたようですが、肝心な「相思空しく」は絶版となっています。これは、あまりにも惜しいことでありますが、この本を復刊させようという動きがあります。和歌山県が文化功労賞を贈った作家ですから、是非とも復刊させて欲しいと思います。

そこで知事にお聞きしたいのですが、このような様々な動きをどのように考えるか、県としての協力も含めて、お答えいただきたいと思います。

答弁者:知事

偉人の顕彰は、ふるさとへの愛着や誇りへとつながるものでありまして、継続的に取り組むことが重要であるという信念で、就任以来、偉人顕彰シンポジウムなど様々な事業を行ってまいりました。

陸奥宗光につきましては、実は私が当選した最初の記者会見で、「知事として政治家として模範とする人はいますか」と訊かれました時に、「陸奥宗光かな」と答えたことを覚えておりまして、そういう意味では、陸奥宗光を売り出す当県における私は先駆者と、密かに、心の中で、といっても言ってしまいましたが自負しております。そこで、陸奥宗光について、平成21年度の「紀の国先人展」や平成24年度の外務大臣就任120年を記念した東京と和歌山でのシンポジウムなど、機会あるごとに顕彰してきたところでございます。

没後120年となる節目の年に、県においても、シンポジウムを開催するとともに、これに併せて、県民の友はもとより、テレビ、ラジオなどの媒体を通じて広報してまいりたい、色々考えていきたいと思います。

議員が言われるような様々な動きがあることを承知しておりまして、それぞれにいいお話であると思いますけれども、自ら企画したものに、あとから不足米を県や国から支援してもらおうということであると、それはちょっと違うのではないかというふうに思います。各団体や個人の活動については、それぞれが熱い思いと責任感を持って取り組んでいただきたい、そんなふうに考えております。

なお、和歌山市立博物館が企画する特別展の際には、県立博物館所蔵資料をお貸しするなど、できるだけ県市協力してやっていきたいというふうに思っております。

いずれにしても、様々な形で陸奥宗光が顕彰されることにより、節目の年が盛り上がることを期待したいと思います。

今回、陸奥宗光を県議会で取り上げることを知った方々からたくさんの意見や資料をいただいています。その中の一人の方の意見を取り上げます。

「アメリカとの問題は、東芝でも原子力・インフラ関係に係わった私の悩みの種になっています。昭和62年のココム違反事件で叩かれ、現在は原子力事業においてアメリカの関係会社で発生した巨額赤字の処理は如何に決着しますか。東芝府中事業所の研究棟に事態の好転を望む心、一入であります。大事なのは過去の偉人の功績を後世に伝えていく努力だと考えます」と和歌山県が陸奥宗光を大事に思い、私達の行動、子ども達の教育につなげている姿勢を素晴らしいと称えてくれています。和歌山県が苦境に陥っている方々の希望の光になっていることを知って欲しいと思います。

そこで「明治維新150周年」についてです。政府は平成30年に明治維新から150年を迎えることを受け、「明治150年はわが国にとって一つの大きな節目。明治の精神に学び、日本の強みを再認識することは極めて重要だ」と発表したことから皆さんの関心が高く、和歌山県は何をするのかなどの問い合わせをいただいています。

明治維新150年に関して高知県尾崎知事は「150年前に描いた国のありようは今も大きな指針であり続けている。当時の人の思いを学ぶことで、現代にも生きてくる教訓はたくさんあると思う。地方が多様性を持って元気になることが時代に対応できる国家の強さにもなる」と明治維新150年に向けて考え方を語っています。

質問3:明治維新150年に向けての考え方

平成28年9月定例会で、「明治維新から150年の取り組み」に和歌山県も関わることを提案しました。知事も「明治維新による近代国家作りのモデルは紀州藩にあったと言っても過言ではない」と話していますから、明治維新150年に向けて知事の考えをお聞かせ下さい。

答弁者:知事

明治維新150年に向けて思うことは、多くの先人をはじめ和歌山県民が一生懸命に頑張ってきた150年間であったということであります。

まず、明治になりまして、紀州藩は陸奥宗光や津田出などによりまして、他藩に率先して、四民平等、地租改正などの萌芽を含む藩政改革を断行しました。

この改革は、それ以外は坂本龍馬など一部の人を除くと、どうも明治近代国家のイメージがなかったんじゃないかと思います。尊王攘夷派の方々がイメージしていなかったような近代国家像を、結果として明治政府に取り入れさせることに成功したという風に思う訳であります。

そういう意味で、この改革は、近代国家を目指す明治政府のモデルとして、講学上の言葉で申しますと、近世の封建制から近代の中央集権国家への転換を、少なくとも間接的にリードしたものであると、私は思います。

このことから、ちょっとおどかしの気持ちも踏まえて、「明治維新は和歌山モデル」だと言って、主張しているということでございます。

また、その他の面におきましても、たとえば産業界で申しますと、紀州藩がなくなりまして、それまで紀州藩は大変な権威と力を持っていた訳でございますけれども、それがなくなった時に、今度は民間の商工業者が奮起をして、繊維産業、雑貨産業、皮革産業などの軽工業を中心とするような産業革命、これは日本全体で起こる訳ですが、特に和歌山でそれが起こって、和歌山の繁栄に繋がっていったいう風に思いますし、その後で言いますと、有機合成染料を由良浅次郎さんが日本で開発して和歌山の産業に結び付けたりと、様々な革新があったという風に思います。

学界におきましても、詳しく説明すると長くなるんですが、私学の雄、慶応や早稲田も、実は、はじめは和歌山ということでございます。はじめは和歌山と申し上げたように、困難な時に新機軸を打ち出して、革新をしていく力というのが、和歌山県民には備わっているんじゃないかと思います。

現代でも、多くのところで和歌山県出身の人が活躍しておられます。特に民間企業でトップに上り詰めたような人の話を聞いておりますと、順風満帆にそういう風になった訳ではなく、危機の時に物凄く頑張って、それで危機を救って取り立てられたという方が多いような気がします。苦しい中で海外に出ても、移民などの場でずいぶん立派な人生を送っておられ、その中には和田勇さんのように、1964年の東京オリンピック招致に大きく貢献した人もいると思います。

こうした150年間にわたり一生懸命頑張ってきた和歌山県人の努力の足跡、あるいはその夢や志、そのようなものを学ぶことで、県民も和歌山に対する誇りが湧き出てくるものと考えます。

このため、わかやま何でも帳を作りまして、これを学校で勉強してもらおうというような郷土教育に熱心に取り組むとともに、和歌山を顕彰するような偉人シンポジウムなどを毎年熱心に開いておりまして、先人の業績を広く顕彰していくことによって、和歌山県民の誇りをより問おうと考えているところでございます。