3.太田城について
三点目は太田城についてです。
平成24年2月24日、当時の文教委員会で太田城址(おおたじょうし)を訪問しました。
太田城は豊臣秀吉が行った三大水攻め城の一つですが、余り知られていないのは、太田城の形跡がほとんど残っていないからです。文教委員会で訪問した来迎寺は、戦国時代の太田城の本丸跡と言われていて、太田城址の石碑が建立されています。
歴史を見ると、1585年に豊臣秀吉が10万人の大軍で太田城に攻め込みました。根来寺と雑賀衆、そして太田左近宗正を中心とする太田党は屈することなく篭城をして抵抗を続けました。そこで豊臣秀吉は根来寺を焼き払った後、太田城を包囲して水攻めを行ったのです。
太田城を包囲するためにお城の周囲、全長6km、幅30mに土を積みお城を囲いました。この作業はわずか6日間で完成したと伝えられています。現代でもこれだけの土を積もうとしたら一ヶ月は必要だと聞きましたから、豊臣秀吉の迅速さと権力の凄さをうかがい知ることができます。
現在も残っている堤防の一部から、当時、巨大な堤防に囲まれた太田城が泥水の中に浮かぶ姿を想像することができました。
水攻めされてから約一ヶ月、篭城を続けた太田党ですが、それ以上は持ちこたえることができずに、太田左近宗正は自刀して太田党は滅びることになります。
1585年に紀伊を平定した豊臣秀吉は、その後関東の北条氏を攻めこれを破り、天下を統一することになります。大河ドラマ「真田丸」では秀吉の北条攻めの場面が放映されているところなので、この時代の様子を知ることができます。
天下統一の経過を振り返ると、紀伊の国、太田城を攻めたのは戦国時代の終わりを示す時期でした。この水攻めの後は豊臣秀吉に逆らえる勢力はなくなり戦国時代が終わる気配が漂い始めたのです。
その後、太田城はその存在を忘れられていましたが、地元、太田城史跡顕彰保存会の活動により、徐々にですが、その存在が知られ始めています。
同保存会は太田城の歴史を広く広報すること、和歌山市の観光資源として活用することを目指して活動を続けています。この保存会は昭和44年に発足し、毎年4月に小山塚で太田左近の霊を慰める法要を実施している他、太田城の歴史を語り継ぐため地域内での勉強会や語り部ウオーク、そして水攻め430年祭の年以降は、子ども神輿などを行っています。
またJR和歌山駅東口付近には太田左近像がありますが。平成5年に和歌山市長を始めとする来賓が出席の下、除幕式が執り行われ、地元の皆さんが維持しながら現在に至っています。
そこで質問です。
太田城址を観光資源として活用を図るためには、その学術的価値を示す必要があります。そのことは、これまでの調査によって太田城があったとされる地域は概ね特定できているようです。
その規模は、太田・黒田遺跡の集落中心部の南北350メートル、東西450メートルの不整円形の範囲内の中世環濠集落だったと評価する説もあります。そしてルイス・フロイスは「この城郭はまるで一つの町のようであり」と雑賀衆の拠点である太田城を評しています。
太田城の学術的価値について、教育長に質問します。
太田・黒田遺跡周辺では、和歌山市教育委員会などにより、昭和43年以来80件近い発掘調査が実施され、考古学的データが蓄積されています。
その調査成果において9地点で太田城に係わる濠が確認されており、この濠と明治時代の地籍図の水田地割から、太田城の位置と規模を推定した復元図が報告されています。
この復元図により、現在の来迎寺付近を中心とした南北約350m、東西約450m、面積約12万m2という大規模な濠で取り囲まれた環濠集落であったと推定されています。
太田城は、天守や本丸などをもつ城郭とは別分類とされる館を中心に造られた城館跡としては、県内最大規模であり、学術的価値は高いものと考えております。
太田城址を観光資源として活用が図れるとこの地域の振興につながり、近くの日前宮から岩橋千塚などと組み合わせると、歴史散策の観光ルートとして新たな観光資源になると思います。既に紀州語り部の案内コースにもなっていることから、和歌山市との連携を図ることで十分観光資源になり得ます。県外への情報発信力の強化も含めて、商工観光労働部長からお答え下さい。
観光資源としての太田(おおた)城址(じょうし)の活用についてでございますが、「太田(おおた)城址(じょうし)」の背景にある史実は、多くの歴史ファン、特に戦国時代に興味がある方にとって大変魅力あるテーマであると考えています。
ただし、太田(おおた)城址(じょうし)のように、観光客が訪問できる施設が少ないところでは、さらに誘客効果を高めるためにも、議員ご提言の「日前宮」「岩橋(いわせ)千塚(せんづか)」などと組み合わせ、歴史散策のコースにおける立寄り場所として「太田(おおた)城址(じょうし)」を情報発信していくことが有効であると考えています。
現在、県においては、NHK大河ドラマ「真田丸」の放送を契機として、真田ゆかりの観光資源への誘客と徳川・戦国ゆかりの観光資源への周遊を促進する「戦国わかやま誘客キャンペーン」を関係団体等と連携して取り組む中で、各種メディアでの展開や専用パンフレット・ウェブページ等による情報発信を行っております。
このうちウェブページにつきましては、大河ドラマ「真田丸」の放送終了後も「戦国わかやま」というテーマで継続していく方向で進めておりますので、早速、和歌山市と協議した上で、ウェブページに「太田(おおた)城址(じょうし)」を含むモデルコースなどを組み込み、情報発信してまいりたいと考えております。また、旅行会社へのセールスの際、和歌山市周辺のモデルコースの一つとして提案してまいります。
和歌山大学紀州経済史文化史研究所が作成した「太田城の水攻め」と題する学習教材用DVDが、平成21年に和歌山市立の小中学校と県立高校などに配布されています。
当時の教育長は「郷土の歴史を知る事は大事な事。高校生がもっとフィールドに出て学習することができ有り難い」と話したと聞いています。その後の太田城攻めの歴史などについて学習状況と成果について教育長からお答え下さい。
和歌山市立小・中学校と県立高等学校に配付された「秀吉の太田城水攻め」DVDにつきましては、太田城跡近隣の小・中学校において、社会科の歴史学習の際に活用しており、県立高等学校においても、日本史の授業や郷土学習に際して活用してございます。
県教育委員会といたしましては、ふるさとの歴史を学ぶことは大変重要であると考え「わかやま何でも帳」にも「秀吉の太田城水攻め」を紹介しておりますが、このDVDも、地域の史実を学ぶことを通じて、歴史の大きな流れを理解することにつながるすぐれた教材であると認識してございます。今後も、社会科の授業をはじめ、調べ学習やふるさと教育の教材として、様々な機会に活用するよう各学校に勧めてまいります。