防災の日を記念して開催された防災研修会に参加しました。講師は群馬大学大学院工学研究科の片田敏孝教授で「想定外を生き抜く力。大津波から生き抜いた釜石市の子どもたち、その主体的行動に学ぶ」と題した素晴らしい講演を聞かせてもらいました。以下、全て私の主観による感想と学びです。
片田教授の話は防災対策には人間力が必要であることを教えてくれたように感じています。従来の防災対策はややもすると行政と地域、そして学校が主体的に進めるべきものであるように感じますが、生命を守る主役はあくまでも自分であることを示してくれました。生命は自分で守ること以外に方法はありません。防波堤は行政が実施してくれる。ハザードマップは行政が配布してくれる。避難勧告は行政が行ってくれる。結果的には自分の命は行政が守ってくれると思うような空気があります。
しかしそれは正しいものではありません。片田教授によると姿勢の防災教育が大切なことで、その心は自分を律すること。そして自分と向かい合い、危機に迫られたときに何をすべきかを考え行動する力が欠かせないというものです。
従来のような大津波が襲ってくるので注意を促すような脅しの防災教育や、知識を与えるだけの知識の防災教育では、大災害に対応できないのです。大災害に対応できないということは生きる力に欠如しているということです。姿勢の防災教育の意味を考え、災害に際しては主体的に行動すべきことを学びました。
片田教授の締め括りの言葉をお借りすると「その日、その時に行動できる君であれ」が求められるのです。大災害は100年一度、または1000年に一度の発生確率です。その日、その時に遭遇する機会は人生の中で一度あるかないかの確率です。わが国の防災対策の中のハード整備の考え方は、100年に一度の危機に備えることを前提しています。一人の人が生きている間に発生するかもしれない大災害の時に最低限の安全確保をしようとする考え方です。ですから1000年に一度の防災対策は講じていません。それだから行政の対策は甘いとはならないのです。100年に一度発生するかもしれない災害に対するハード対策と1000年に一度発生するかもしれないハード対策ではコストが大きく違ってきます。
あり得ない話ですが、仮に1000年に一度の津波に対応できるハード対策を講じられたとしても、私達は次のことを求めます。3000年に一度の大津波が襲ってきた場合は防ぎきれないのではないですか。もっと安全対策を施して下さいという要望が始まります。
何時到来するかどうか分からない対策に、それだけのコストを掛けられないことを理解して欲しいのです。それよりも100年に一度の大災害対策を行政が実施してくれようとしているのだから、自分を律することで自分の生命は自分で守ることを意識して欲しいのです。それが地震列島日本で生きるということ、わが国の誇るべき自然の恵みを享受しながら地域で生きるということ、世代を超えて生き続けるということなのです。
但し勘違いして欲しくないことは、行政は生命の安全確保を全て個人任せにすることを前提にしているものではないということです。行政の考え方は、一人の県民の皆さんも犠牲にしないという考えに基づいて可能な限りの対策を考え実現させようとしているのです。
一人も死なせない。この考え方が防災対策の根底にあります。ですから私達は自立した個人としての主体的な行動を、その日、その時にとって欲しいのです。
和歌山県にはいつか必ず大津波が襲ってくることは分かっています。分かっている未来ですが、これは今突然向き合った事実ではありません。国の想定が変わっただけで、自然や地球の営みが変わったわけではないのです。今まで不安を感じていなかったことが、事実を通告されたことから不安を感じるようになったのです。
しかし正しく恐れることは必要ですが、必要以上に不安を抱えて生きる必要はありません。和歌山県という自然環境に恵まれた地域に生活していることの喜びを日々感じ、そしてその恵みを毎日のようにいただく幸せを感じて欲しいのです。そしてその日、その時が訪れた時には、生きるために最善を尽くすこと、そして率先避難者になることです。
生きる力とはその日その時に、全力を尽くす力を発揮することを言います。諦めたり逃げようとしなかったりすることは人生ではありません。天命を全うするまで生き続けることが人生であり、生きて復興に携わることがその地域に暮らす人の使命なのです。率先して逃げて生き延びて、そして大災害の後から再び立ち上がろうとする力を加える一人になることが正しい避難者の姿なのです。
生きてこそ、次の世代に生命の大切さを伝えることができます。その日その時には、まず自分が逃げることで周囲の皆さんが逃げることに気付くのです。台風などの雨で避難勧告が発令されても、学校で火災報知器が鳴っても、最初は誰一人に逃げようとはしません。
逃げなければと思っていても、最初の行動を起こすことが格好悪いと思うからです。最初に逃げると臆病だと思われる、火災報知器が鳴って逃げても火災など何もなかった場合、再び教室に戻るのが恥ずかしいと思うこと。それが逃げるという行動を制御しているのです。分かっていても逃げられない最大の理由は周囲の視線です。自分一人だけ逃げることに気が引けるのです。
でも100年に一度の大津波が到来する時は、そんな気持ちでは逃げ切れません。その時の最善を尽くすことです。100年に一度の発生確率は人の一生の中で一度だけの機会です。しかし世代で言うと四世代にまたがります。25歳で結婚、出産があると考えると、四世代が100年に一度の発生確率の中に存在しているのです。曾お爺さんの経験を私たちに伝えてくれているように、私達の経験はひ孫の世代まで伝えなければならないのです。それが生きている意味のひとつであり、逃げなければならない理由です。
防災対策というより生き方を教えてもらった講演会となりました。今までの防災対策のあり方とは違った気付きがありました。災害と向かい合うということは生き方を考えるということなのです。その日その時がきた場合、後悔のないようにしたいものですし、その考え方は人生にも通用します。後悔のない人生を過ごすことが最高の生き方です。その日その時が来ても来なくても、日々悔いのない生き方をしたいものです。日々を生き抜くこと、そしてその日その時も生き抜くことが最大の防災対策なのです。
講演会の後、会場になった和歌山ビッグホエールの設営をしてくれた責任者の方と話をしました。講演会のために1,200席を用意していたのですが、その設営を終えたのは本日の午前4時だったことを知りました。講演会の開場は午前9時からでしたから、開場の5時間前に設営が完了したことになります。
実は前日に設営を開始したのですが、会場内の設備に異常があり機械メンテナンスの会社に来てもらって修繕を行ったことから2時間以上の時間のロスがあり、設営は深夜に及びました。そんな設営をしてくれたから、素晴らしい講演会になったのです。表舞台の裏側には、講演会を支える関係者の隠れた取り組みがあることを知りました。
関係する全ての皆さんが協力して、一つの行事が完成し成功するのです。一人が欠けても舞台は整いません。良くある事ですが、自分が全てを仕切っていると思っている人がいます。でも一人で大きな行事を実行することはできないのです。1,200脚の椅子を一人で並べることができますか。時間を掛ければできますが、何日も掛かってしまいます。全ての役割の人が気持ちよく仕事をしてくれているから舞台は成功するのです。一人でも気分が悪ければ良い舞台になりません。気持ちが乗らない人がいると、そこの部分の仕事は出来が悪くなるかにらです。全体が良い仕事をしている場合、一箇所だけで気が悪ければ、そこだけ浮き上がるように目立ちます。全体工程を追えた後、そこを修正しなければならないのです。仕事はチームで行うものです。仕事はチームワークが試されますし、和を保つことが仕事レベルを高めてくれます。
参考までに、今日の客席の配列は見事でした。一脚の列の乱れも前後左右にずれていることもありませんでした。厳しい講演者の場合、椅子の配置がずれていると講演会終了後、叱られる場合もあると聞きました。確かに、講演している時にお客さんの席の配列がずれていると気になる場合があります。舞台設営という隠れた仕事を完全にしてくれているから、気持ちの良い講演会に仕上がるのです。 裏舞台の仕事について話が聞けたことは嬉しいことでした。相手の気持ちになって仕事をすることの大切さを学びました。講演者は設営してくれた人の気持ちを思い、設営者は講演する人の気持ちになって仕事をするとその講演会は成功します。