第8回「みんなが主役演芸祭り」が開催されました。場所は直川小学校で、主催は直川連合自治会、公民館、社会福祉協議会でした。地元の皆さんが主役となって舞台で歌やダンスを披露してくれます。観客も地元の皆さんですから、優れた地域の交流機会になっています。体育館は満員で秋なのに熱気が溢れました。
またゲストとして歌手の山口智世さんが歌ってくれました。オリジナルソングの悠久の道熊野古道と、お客さんから事前にリクエストのあった2曲を含めて歌ってくれました。皆さん山口さんと一緒に歌い会場は歌声が鳴り響きました。
歌は聴く人も歌う人も元気にしてくれる力を持っています。山口さんは県内各地のイベントに参加してくれていますし、和歌山県の観光PRのための和歌山大使としても活躍してくれています。
秋の一時を皆さんと共に楽しませてもらいました。
和歌山仏像彫刻同好会による仏像展が開催されています。展示会場に行ってきました。会員の皆さんは毎年のこの作品展開催を目指して1年をかけて作品を作っています。見事な作品が多数飾られています。一つの作品を仕上げるには小さなもので一ヶ月、大きく名作品になると数ヶ月要するため、1年間で完成できる作品は限られています。一つの作品は気持ちを込めて作られているのです。
その中で大黒天についての話を伺いました。大黒天というと背中の大きな袋に財宝を持っているように思っています。金銀財宝を持ってきてくれるお金の神様のように思っていますが、そうではないと伺いました。
大黒天が背負っているものは、智と仁と施しの三つだそうです。人にとって大事な三つのことを伝えてくれているのです。
智とは仏語で、事物や道理を識知、判断、推理する精神作用の意味を持ちます。または真理を観ずるところの智慧や悟りの意味にも用いられています。
仁とは思いやり、いつくしみ、情けの意味です。儒教においては最高徳目で、他人と親しみ、思いやりの心をもって共生を実現しようとする実践倫理のことです。
そして施しとは恵み与えることです。
つまり道理に基づいた考えができることと思いやり、恵み与えることが人間には大切なことだと教えてくれているのです。仏像を彫刻している人は、単に姿かたちだけを掘っているのではありません。内面の部分、その教えを学び、その心を仏像で表そうとしているのです。ですから大黒天を掘っている作者は、智と仁、施しの心を持って作品を作っているのです。その気持ちを持たなければ、大黒天という作品を作ることはできません。
仏像を彫ることは心を磨くことであり、その有り難い心を多くの人に伝えることなのです。彫刻の原材料はヒノキだそうですが、ヒノキから仏像を掘り出すためには気持ちが入っていなければ命を吹き込むことはできません。材料としての木ではなくて、届けられた木の中に大黒天が住んでいると思った方が良さそうな気がしました。
木片に心を持った作者が彫刻を入れると作品となります。人間の命が込められたものになるのです。木片を粗末に扱う人がいるとしても仏像を粗末に扱う人はいません。木片にも自然の神様が宿っているのですが、人にはそれが見えないため木片を見ても大事にする心が生まれません。ところが作者が命を吹き込むと仏像の姿になって現れてくれます。それは人が当然持ち合わせている自然信仰の心が、見える姿になったということです。
仏像展は単なる作品展ではなくて、心を伝えてくれる場でした。今回鑑賞して、そして作者とお話をさせてもらって気付きました。1年を掛けて作品に命を吹き込むことを会員の皆さんは続けているのです。