県立自然公園は県として守るべき自然を定めています。国立公園と同じく第一種、第二種、第三種の区分があります。第一種特別地域は工作物の設置を初め開発は制限されています。第三種に向かうほど規制は緩和される方向になります。しかし第三種だからといって開発は制限されていて、実質的に触れない地域となっているようです。
ここで問題を感じます。自然公園といってもその土地は個人の所有地です。個人の所有する土地の活用に制限を加えることは憲法上の問題があります。私有財産の活用を制限することになると、個人として最も価値の高い財産の一つである土地が自由に活用できないと財産権の制限に該当する可能性があるからです。
土地を利用できない、収益を生み出せない、場合によっては売買も叶わないとなると、所有している意味はありません。土地から果実を得られないとなると固定資産税だけを支払い続けることになり、財産権の侵害に当らないか考えたくなります。
日本国憲法では第29条において、経済的自由権として認められている権利です。但し、日本国憲法第29条第1項により不可侵性は保障されていますが、第29条第2項の公共の福祉によって制限される場合があります。法律上は例え財産権であっても制限されます。では条例でも制限され得るものかどうかが論点になります。判例によると、条例によって土地活用を制限する場合であっても合憲となることから経済的自由権が条例によって制限され得るものなのです。
ですから自然公園に関る条例を制定している場合で、大規模開発などの規制が定められている場合は、個人の土地であっても自由に活用できないということになります。
ここで問題が浮かびます。では条例が絶対なのかという価値判断です。条例は制定された時点において何らかの必要性があり、当該土地の活用を制限しているはずです。自然を守るために条例を制定して乱開発を規制することや、守るべき自然を後世に残すために開発に制限を加えていると思われます。
自然環境を保全する観点からは必要な制限であり意味もあります。ところが新しい価値が生まれています。再生可能エネルギーの導入が国策として進められようとしていることです。今までは再生可能エネルギーの普及促進は国策ではなく、事業者や土地所有者に委ねられていました。ところが現在は、再生可能エネルギーは国策として推進する立場を取っています。国土が狭いわが国で再生可能エネルギーを推進するためには国土の利活用を図るために制限の緩和が必要になっています。
例えば農地や山林でも、再生可能エネルギーを設置する場合は地目変更をしないでも利用可能にする議論や、国立公園内でも地熱発電の適地であれば建設を検討するなどの議論がなされています。既存の価値の中に新しい価値をも認めるかどうか考えるべき時期に差し掛かっているのです。
全ての自然公園の開発条件の緩和を考えようとするものではなくて、第三種など比較的緩やかな規制をかけている地域で、かつ太陽光発電の適地である場合は、自然景観を守り、しかも自然公園内における自然エネルギーの導入は自然を活用するものであり、決して相対する価値ではないことも検討すべきだと考えます。自然と自然エネルギーの共生が自然公園に新しい価値をつけることも考えたいものです。
希少生物や希少種が存在している場合や学術的に価値の高い地層などがあれば話は進みませんが、単なる雑木や放置されたままの畑などが個人所有の場合は、環境保全と地元同意があれば、開発要件の緩和も検討課題だと思います。条例は時代に応じて変えられるものですし、守るべき自然の要件も国策や必要性に応じて変えていくべきものです。
和歌山県の自然公園条例が施行された時代は、再生可能エネルギーの導入を国が推進するなどは想定していませんでした。ですから現行条例の中には再生可能エネルギー、自然エネルギーの設置に関しての取り決めも扱い方も検討外なのです。
単なる工作物の中に再生可能エネルギーの設置も含まれている状況です。果たしてこれで良いのでしょうか。いま考えるべき価値です。
もし本気で守るべき自然公園であれば、県が土地を買い取るなどの方策を講じることも考えて欲しいところです。活用できない土地を個人の財産のまま放置しておいて、「開発は駄目ですから守って下さい」と指導するだけでは判例上から言えるとしても感情面では納得しがたいものがあります。
まして自然公園内の土地取引において、県から積極的に「この土地は自然公園内なので活用方法に制限が掛かります」という説明はありません。もし開発できない土地だと購入希望者がその時に知れば売買契約は成立しないはずです。余程の自然保護派が、どうしても自分でこの自然を守りたいと考えたら別ですが・・・。土地を購入しようと考える人は、中の活用を考えて購入するのが当然です。その土地が条例による制限で活用できないとなれば納得できない気持ちが残ります。
再生可能エネルギー推進という国策を新しい価値と捉えて、条例の内容を検討して欲しいことを要望しました。一度決定した条例が絶対ではありませんし、時代の求めるのに対して対応すべきものです。
午前中は自然公園条例の解釈と再生可能エネルギーの導入可否について協議を行いました。
和歌山県出身の筝曲家、西陽子さん。伝えきれないような、とても素晴らしい音色を聴かせてもらいました。西陽子さんの琴の音色は心に忍び込んできます。演奏を見て聴いても素晴らしいものがありますし、目を閉じて聴いても情景が伝わってきます。
こんな琴の音色があることを初めて知りました。感動を伝える音楽がここにあります。
西陽子さんのコンサートは約1時間でしたが、1日に相当するように感じられましたし、逆に1分で終わってしまったようにも感じます。静かなコンサートでしたが、観客がこれだけ涙したコンサートは初めてです。西さんが弾く音色はそれぞれの人の記憶や思いに響いてきます。心の琴線に触れたことで涙が零れるのです。前を見ても、横を見ても涙を拭っている人がいました。いつも頑張っている皆さんが、ふっと立ち止った瞬間です。立ち止ると見える景色があるものです。走っていると見えない景色が止まると見えることがあるように、西さんの琴の音色は人を立ち止らせ、心で見るべき景色を見させてくれる力があります。心で見える景色とは、現在の自分の姿でもあり過去の自分の姿でもあるのです。
そうそう自分の姿を見させてくれる音楽に出会えるものではありません。立ち止まった1時間は、内心を見つめられた貴重なものでした。
秋桜の演奏で涙が溢れ出した人が多くいました。ここに思い出も思い浮かべる景色もあったからです。振り返れる過去があること、振り返って懐かしい自分が存在していることは素晴らしい人生であることの証明です。
そして今日も振り返れる一日になりました。つまり幸せを感じた一日だったのです。こんな日々の積み重ねが幸せな人生―と続いていきます。小春日和の一日にありがとうと言いたい気分です。
参考までに西陽子さんのプロフィールを以下に紹介します。
和歌山県出身。沢井忠夫・沢井一恵の両氏に師事。東京藝術大学音楽学部邦楽科卒業。卒業と同時に皇居内桃華楽堂で御前演奏。平成5年度文化庁芸術研修員。
2008年〜2009年ソロコンサート「SPIRIT OF A TREE〜YOKO NISHI KOTO CONCERT〜」アメリカツアー(ニューヨーク・ワシントン・シカゴ)、ハンガリー・ドイツツアー(ブダペスト・ベルリン・ケルン・フランクフルト・ミュンヘン)を行い、演奏とインタービューがドイツ主要4都市でラジオ放送される。2010年上海万博にてソロコンサート。コロンビア大学客員研究員として赴任(〜2012)。2011年「植物文様」「ファンタスマ」「四季・熊野」に続き、ソロアルバム「月夜の海」をリリース。フルートとのデュオNINA DUOとしてカーネギーホールで公演。2012年にはさらに新しいCDのリリースやブラジル公演も予定されている。
新作初演、復元楽器の演奏、国内外のアーティストとの即興演奏、洋楽器やオーケストラとの共演、他分野の邦楽家や美術家・作家・詩人とのコラボレーション、自作自演等ソロ活動は多岐にわたる。