活動報告・レポート
2012年7月27日(金)
ジビエ料理
ジビエ料理

和歌山県ではジビエ料理の売り出しに力を入れています。県が予算をつけてジビエを推奨していることは地域にとって嬉しいことです。

ところでジビエとは、狩猟によって食材として捕獲されたイノシシやシカなどのことを言います。そしてその肉を高級食材として利用したのがジビエ料理なのです。

ジビエ料理はイノシシやシカ肉を食することであり食材は野生動物なのです。ひとつ注意すべきことがあります。野生生物と人が育てた家畜の肉とでは品質が違うことです。野生動物を狩猟したとしても、全ての肉が高級食材になるとは限りません。肉の品質に差があるのです。関係者によると、それにも関わらずジビエは同じ価格で取引されているようです。ジビエを仕入れた料理店としては高級肉が当ればラッキーですし、そうでなければ運がなかったということになります。価格が同じであれば同じ品質の肉が求められます。今回は良い肉が回ってきたけれど、次回は分からないというのでは市場価値が乏しいといえます。安心できる取引が成立しないからです。

言うまでもなく料理店はお客さんに料理を提供する商いです。同じ品質の料理をお客さんに食べてもらいたいのですが、食材の品質が安定していなければメニューに掲載できません。今後、和歌山県のジビエ料理を売り物にするための課題は、品質を安定させることと価格です。参考までに和歌山県のジビエ肉の価格は比較的高い水準にあると聞きました。

高級牛肉と同程度の価格で取引されていると聞きましたが、それが真実なら神戸牛などとの競争には勝てません。いつまで経っても値段が高いのに品質が安定していない食材だという評価になります。和歌山県産のジビエを和歌山県外で普及させるためには品質の安定と価格を下げること、これが欠かせないものです。

県内にはジビエ料理を提供しているお店はありますが、和歌山市内では余り見かけません。これは品質と価格の問題が関係していると思います。飲食店側の意見や要望を聞いて、本当に成果のあるジビエを推進していきたいものです。

幕末論

外国の権力者が幕末について調査しているという話を聞いています。本当かどうかは分かりませんが、日本が幕末の様相を呈していることから日本人の動向を探るためだとも聞きます。ところで幕末についてどこまで知っているのかと自問したところ、本質は分かっていません。何故なら幕末について記された文献を読んだことがないからです。小説や冊子で読む程度では本質までは理解できないのです。

そんな幕末の本質について書かれた本があります。著者はなんと渋沢栄一氏。渋沢氏によって4巻の幕末論があることを知りました。幕末について話を伺った学者から見せてもらいましたが、文語体で書かれているのでとても読みづらいのです。「この本は読めないでしょう。読めても理解できないと思いますよ」と言われたように、この内容を理解できる人は少ないと思います。同時代を生きた渋沢氏による記述であり、文章の中にその裏付けとなる出展も記されているなど、この時代を知るために重要なものだと聞きました。

明治維新とは、外国との交渉が重要になってきた時代において、当時の政治が天皇と幕府の二本立てになっていたことに起因しています。内政だけで収まれば問題は少なかったのですが、外交が入ってきたことから問題となりました。つまり日本国の権力者は誰だか分からないことが問題になったのです。当初、江戸時代の外交は江戸幕府が行っていました。しかし外国が将軍以外に王がいることを知るようになり、本当の主権者と交渉、契約することが正当であることの確認を求められるようになりました。

エンペラーなのかキングなのかどちらが日本国の主権者なのか、はっきりするとことが重要になったのです。これが外交の本質です。外国は主権者の命に基づいた権限者である公使が交渉窓口となりますが、日本国の窓口は権力者の代理人かどうか疑わしくなっていたのです。例えば幕府は老中が官僚組織のトップですが、老中が全ての権限を持っていた訳ではなく、晩年の幕府は合議体となっていました。官僚組織の悪さが露呈されていた訳です。

老中として最後の権力者は井伊直弼でした。しかし井伊直弼は不平等条約を、与えられてもいないのにその権限において締結したことが、後々わが国を苦しめることになりました。不平等条約の締結相手はハリスでしたが、ハリスの本質は米国の商人であり、それを調査もしないで、列強に恐れをなして慌てて条約を締結したことが誤りでした。

明治時代になって陸奥宗光が不平等条約の撤廃を成し遂げましたが、それまで日本は外交を知らない権力者の判断による結果に悩まされるのです。外交の重要性と外交無知の権力者が外交を担うことの怖さが歴史から学べます。

外交は内政とは全く違います。内政で与野党争っていたとしても、外交においては与野党一致が原則です。外交のやり方を見れば、その時の権力者の器量が分かるのです。江戸時代の外交のまずさを知ると、今の日本の外交と同じようで歴史に学ばない国政を知り得ます。

さて渋沢栄一氏の著書によると、明治維新の立役者であり最高の権力者は徳川慶喜であるとされています。徳川慶喜がいたことで大政奉還につながったようなのです。弱さを見せるようにして、徳川慶喜は自作自演をしていたのです。外交の重要性を認めていた徳川慶喜が末期の官僚組織に成り下がっていた幕府を切って、天皇を日本の権力者として位置付けたのです。幕府は将軍と老中以下の官僚組織とに二分されていたことから、天下を納める器ではないことを懸命な徳川慶喜は知り、大政奉還へとストーリーを進めたのです。

その後、渋沢栄一は徳川慶喜の後ろ盾を得ながら明治政府の要職に就くことになります。先見の明がある人物の動きは勉強になりますし、本質を知ることは原典を知ることに尽きることが分かります。時間の関係で少しの論点をかじっただけなので、明治維新の本質は引き続いて学ぶことにしています。

懇親会

夜は懇親会に参加しました。ご一緒させてもらった皆さんから、和歌山市を何とかして欲しいという依頼がありました。希望のない市にいることが辛いという意見もありました。その前に明治維新について学び、そして平成維新の動きがある中、考えさせられました。