活動報告・レポート
2012年7月8日(日)
少林寺大会
少林寺大会

少林寺拳法の大会があり開会式典に出席させていただきました。午前10時からの式典には大会に参加する子ども達でいっぱいでした。小さい頃に武道を習うことは強さや勇気と共に礼儀を身に付けることになりますから、成長過程において武道は必要なことです。公教育でも武道は必修になっているように、人として必要な礼節の大切さを学ぶことができます。

少林寺拳法を習っている子ども達の目は活き活きとしていて、大会に挑む姿勢が伝わってきます。参加する小学生が「一番になりたいけれど・・・」と話していました。大切な向上心、そして一番を目指す気持ちを身に付けています。この気持ちと大会前のドキドキ感は、きっと大人になっても宝物になります。

式典では少林寺拳法についての挨拶がありました。少林寺拳法の創始者の宗道臣の生誕100年記念に当たります。そんな節目の年でもあり、平成25年は大阪府で全国大会と世界大会が開催される予定であることも伺いました。武道によって身に付けられる精神の大切さが再認識されているように感じます。皆さんの奮闘をお祈りしています。

商売の秘訣

小さな会社を営んでいる人と懇談しました。約30年前に商売を始めた時、父親から言われた言葉がありました。その言葉を商売の基本としていることを聞きました。その言葉は「商売は少し損をする位が丁度良い」というものです。大儲けをしても大損をしてもいけないことは分かりますから、本来は少しの利益を得ることが最善だと思いますが、教えはそうではないようです。少しの損というところがミソです。

これは、商売をしていると得をする時も損をする時もありますが、取引相手やお客さんを困らせることは絶対にしてはいけないというものです。商取引をしていると当初と条件が違ったり支払上の行き違いもありますが、そんな時は少しの損であれば自分で被る姿勢を持つことを示しています。少しの損に自己主張を通して利を得たとしても、信頼は失われます。自分が正当であったとしても相手には不満が残っていますから、相手は自分が正しかったと思い続けます。そうするとその相手は、その相手の取引先や関係者に対して、不満を述べることになります。事情を知らない人たちは、「その商取引の相手は何て酷いことをする人だ」と思うのです。

自分の知らない間に評判を落としてしまうのです。それでは継続的な商売になりません。そんな小さな不満の種を残さないためにも、少しの損なら自分で被った方が結局、得をすることになるのです。

商売だけではなくて人間関係でも仕事においてもヒントになります。人は多かれ少なかれ、自分が正しいという自信を持っています。記憶は自分の都合の良い方に刻まれるため、自分の記憶が事実と思ってしまうのです。当事者の間の真実は時間と共に消え去っていますから、記憶の中の事実だけがその時に起きたこととして残っています。歴史に主観が入っているように、当事者間のこともそれぞれの主観によって事実が作られています。両者の間の事実は一致していることはありません。後にトラブルが発生した時の両者の事実認識が違うのは当然のことですから、どちらかが譲らなければ収まりません。少し位の損であれば譲ることも必要なのです。

正義が貫くことが決して人間関係を構築することにはなりませんから、人との関係は難しいものです。小さな損であれば被れる度量を持つことも大切なことかも知れません。

形で表す

「心は決して見えないので、形で表すことも必要なことです」。事業をしている方から、そんな言葉がありました。それは、「いつもお客さんには感謝しているのですが、中々伝わらないことを感じました。何が不足しているのだろうと考えた結果、思っていることを形にして伝えることが大事なことだと気付いたのです。お客さんにありがとうと思うのであれば、その気持ちを表したプレゼントを贈ること。誕生日にお花を贈ることによって、心が伝わるようになりました」という話です。

心は他人に見えません。心の言葉は自分だけが分かっています。その心の言葉を表現するのは形になるもので伝えるか、何かの行為が必要です。感謝の気持ちを示すためには、会いに行くことも手段です。誕生日をお祝いするにはプレゼントを贈ることも手段です。

心を伝えることは簡単ではないけれど、上手く伝えられたら関係は強くなります。