活動報告・レポート
2012年7月2日(月)
電力不足問題
電力不足問題

改めて電力の大切さを感じています。今までは電気のある生活は当たり前と思っていましたが、実は当たり前のことではなかったのです。文化的な生活を支えているのは電気であり、私達の生活の隅々まで電気は行き渡っているのです。生活面ではマンションのエレベータが停止すると困ります。テレビが観られない、パソコンが使えないのも困ります。冷蔵庫や炊飯器、温水器などのも困ります。産業界はもっと大変です。工場のラインを停めてしまうと再起動するのに時間がかかります。スーパーやコンビニも困ります。冷凍庫の保冷時間は約30分ですから、もし2時間の計画停電が実行されると大きな影響が起こります。当然、病院や福祉施設にとって電気は必需品です。医療機関と話しをしたところ、「医療機関が万が一への備えの体制を取れるのは電気があるからであって、電気がなければ患者さんを受け入れることはできません。災害時の協定があったとしても実質は役に立たないのです」という意見を聞かせてくれました。

生活と経済の隅々にまで行き届いていることが当たり前に思っていますが、電気は人が作り出しているものなのです。作らなければ電気という商品は存在していないのです。供給力を確保することがとても大事なことで、需要サイドで節電対策を行っていますが、供給の安定性も大きな課題です。供給力が不安定であれば生活や経済は混乱することになります。私達の生活とわが国の経済を守るためにも安定した電気を望みたいところです。

ある県内の経済人が話してくれました。「まさか電気が不足する時代が訪れるとは思ってもいなかった。今の日本で開発途上国並みの課題が惹起するとは思いも因らなかったことです。これで先進国と言えるのでしょうか」。

同感です。社会の根底を崩すような事態になるのは国にとって危機的状況です。生活と経済を守ることができなければ国の体裁を成していません。勿論、国は防衛、安全保障、外交など、夜警国家的なことが本質的な使命ですが、エネルギーと経済も国民の信託を受けて担うべき大きな役割です。夜警国家から福祉国家へと国の機能は膨らんできているものの本質的な幹の部分は、やはり重要です。

その根幹が崩れている事態は、やはり異常と言うべきです。

和歌山県知事が電力問題に触れています。

「政治判断には副作用が伴うというものです。何かの判断をしたら、その判断結果を歓迎しない人もいます。その不利益を被るかもしれない人にとっては良い政治決定と思わないことになります。政治決定、政治判断には作用があれば反作用もあるのです」。

それが政治に携わる人の対極的な決断であり、孤独で厳しいと言われる所以です。政治判断をすることが政治家の役割であり、政治判断を避ける政治家は退場して欲しいものです。役割を果たしていないからです。ありきたりの表現ですが、言うだけなら誰でも言えます。言うだけの根拠を持って政策を批判するのは良いとしても、では代替案を持って示すべきです。それは政治家の仕事だと言われますが、直近で、多くの人が幸せになれる現実的な対応をするのが政治家ですし、そして将来的な幸せも同時に考えて判断しています。

作用と反作用、今と将来を考えて対極的な判断をすることは、それほど簡単なことではないのです。

さて7月の月曜日に入りました。いよいよ夏が始まります。舞台裏ではいつもと違う夏になりそうですが、表舞台ではいつも通りになることが理想です。苦労やプロの仕事は表に出ないものです。

イケテる腹プロジェクト

毎週月曜日のお約束事。イケテる腹プロジェクトに行ってきました。腹筋と腕立てなどて鍛えられています。「今日もきつかった」と話したら、先生は冷たく「そんなにきつくなかったよね。小学生レベルですよ」と一言。このプロジェクトは楽しくてきつい。そしてきついけど楽しいので続けられます。

きついと感じるのは身体の部分に意識が向かっている証拠です。漫然とトレーニングを行っても部分は鍛えられません。鍛える部分を意識して、そこに力を集中することで筋力は締まります。

月曜日のトレーニングは、身体の心地良い痛みと強い精神力を一週間、保ち続けることができます。