活動報告・レポート
2012年6月10日(日)
ツタンカーメン展
再稼動

大飯発電所3号機と4号機の再稼動について野田総理が発言をしました。政府の見解が明確に示されたことによって、平成24年7月末までに再稼動が実現することになりそうです。このことに関して経済的見地から意見が寄せられました。

夏の電力不足によって計画停電が現実のものになると、電力会社の経営陣は経営責任を問われることになります。燃料費が経営を圧迫し安定供給という電力会社の最大の使命を果たせないことに対して株主は意見を述べる筈です。株主としては、それでは株価を更に低迷させることになりますから、大飯発電所の再稼動には賛成する態度をとります。燃料費を抑制し電力不足を乗り切れることが株価にとって重要だからです。

ただ将来に向けての判断は難しいことになります。安全性が脅かされることになれば、例えば3.11の時の東京電力の福島第一原子力発電所事故のような事情が起きれば、会社の存続の危機になるからです。株価の価値は限りなく無くなり配当も見込めません。そんな事態を株主は望むことはありません。ですから将来のリスクを回避する方法を求める可能性があります。となれば原子力発電の比率や再生可能エネルギーの比率についても関心事項となります。

将来の電力会社の経営、つまりリスク回避と経営の安定、即ち電源構成の多様化を図ることにより経営の安定と企業価値の存続を求める考えも出てくるかも知れません。再稼動となってもそれで全て元通りになるのではなく、将来の電力会社のあり方について考える第一章になると思うべきです。企業価値について考えさせられます。

ツタンカーメン展

大阪天保山特設ギャラリーで開催されているツタンカーメン展に行って来ました。本来であれば先週末の日曜日が最終日だったのですが、好評につき7月16日まで延期になりました。そこでこの機会にと思い会場に向かいました。待ち時間は30分だったのでスムーズでした。ツタンカーメンはカイロ博物館で黄金のマスクや玉座などを見た経験がありますが、それ以来の再会です。

ツタンカーメンについては説明するまでもありません。19歳で死亡したエジプトの少年王で、9歳での時に王の座に即位してから在位10年だったことから忘れられたファラオでした。そのため王家の谷の墓は盗掘を免れ、1922年ハワードカーターによって発見されるまで3000年の眠りについていました。ツタンカーメンでもこれだけの黄金に囲まれていたのですから偉大なファラオ達の墓が盗掘されていなければ、どれだけの黄金の秘宝が残されていたのか興味は尽きません。

さて忘れられていたファラオのツタンカーメンですが、現在では最も有名なファラオとなっています。カイロ博物館の展示物は人類の宝というべきものですが、今回はその中から107点の展示品を見ることができます。大阪で同じものを見る機会はもうないと思いますから、20世紀最大の発見を直接見ておくことをお勧めします。

ツタンカーメンの死因は骨折による病死が有力ですが暗殺説もあります。次のファラオに即位するアイの一味による暗殺説があり、それに関する読み物は読み応えがあります。歴史の中の権力争いは、正に歴史から学ぶ良い教材となります。暗殺説に基づいた小説は推測の部分が大多数を占めていますが、その展開も人間が考えたものですから現在社会に通じるものがあります。陰謀、罠、味方のようで実は敵であること、正義を守る戦いと権力を得ようとする者の攻め方など、少年王を巡る権力争いは3000年も前から変わらないものです。病死であればそんな歴史はなかったのですが、血統のつながらない神官アイが高齢でファラオに即位するのは不自然なので、後の歴史家がベールに包まれた少年王の物語を生んだのかも知れません。

さて展示会の最後に黄金の棺があります。その美しさと表情に見惚れてしまいます。歴史の妙、そして展示されている装飾品と共に心に残る美しさです。ところでカイロ博物館にはツタンカーメン王と王妃アンケセナーメンの愛情を表すヤグルマギクが展示されています。これは王妃アンケセナーメンが夫ツタンカーメンのために埋葬したものだという説があります。真偽は別として、そんな愛の物語もツタンカーメンにはあるのです。歴史の中に埋没した少年王と若い王妃の物語も、後の人間の創造が作り出したものであるとしても嬉しいことです。権力争いと謀略、そして愛など、人の生き方に関する全ての教材がツタンカーメンという歴史の一部の物語の中に詰め込まれているのです。

当時カイロ博物館で見て調べた時のそんな思いを持って展示物を見て回りました。300年前のファラオの世界に浸り、現代社会でも変わらない歴史の中で生きていることを思いました。結局、歴史の真実は分からないものなのです。歴史を構成する事件の真実を知っている者は口を閉ざしますし資料は残りません。歴史家が調査と推定、想像力を駆使して歴史を書き記すのです。  現代社会で起きている問題も報道されてはいますが、読者もマスコミも当事者ではありません。真実はどこにあるのか、記事や発言、登場人物の考え方から想像する以外に分かるものではないのです。全ての人が現代史の中で生きていますが、社会の出来事の捉え方、その事象の考え方は全ての人が違うのです。歴史の真実はひとつでも、事実として伝えられるのは一つではないのです。これが歴史の面白さです。

現代社会も後世になると歴史の中の出来事として語られる日がきます。その時、私達の社会の中での行動、現代社会に対する考え方などは、後世の人にどう思われるのでしょうか。権力抗争、正義と悪との戦い、そして愛の物語など、現代社会で起きている事象と合わせて想像の世界の中で語られる筈です。その中で語られるのであれば、歴史の中の正義の人物として私達は語られたいものです。そんな行動をすべきだと思います。