活動報告・レポート
2012年4月30日(月)
ブラック・スワン

大型連休の合間。今年はなかなか休む時間がなかったので、今日はオフの時間をとりました。読書とDVD鑑賞でリラックスできた一日となりました。

読んだ本は五十嵐貴久の「Fake」、「交渉人」、「交渉人・爆弾魔」、百田尚樹の「モンスター」。どれもこれも読みやすく面白いのでまとめ読みです。

DVDは「ブラック・スワン」。これは2011年の作品。ご存知、ナタリー・ポートマン主演の映画です。ナタリー・ポートマンはこの映画でアカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞しているように、その演技にぐいぐいと引き込まれていきます。

主人公は主役の座を守るために、そして表現が難しいブラック・スワンの演技に悩み、現実と幻想の世界の区別がつかなくなります。観ていても、どこまでが現実でどこまでが幻想なのか分からないのが特徴です。幻想の部分が表に現れない内心の焦り、葛藤を表現しているように思います。優等生でいる自分とその殻を打ち破らないと次の段階に進めない自分が心の中で葛藤する。それを打ち破った時、現実と幻想は一体となり喝采を浴びますが、内なる部分が表に出てしまうことで身体を破壊することになります。

ここが見所です。社会では良い顔をしていても、実は内心違うことを思う場合があります。「あの事件がなければ」、「あの人がいなければ」という思いです。ところがそれらの事件や登場人物は全て自分の成長に必要なのであって、排除すべきものではないのです。それらの事件に心が囚われてしまうと道が見えなくなります。社会において純粋で正義を貫き通せたら良いのですが、社会は純粋で正義だけで構成されているものではありませんから、その方法だけで突破することは難しいのです。混乱や悪が混ざっている社会において、それらも現実の一つに過ぎないと思って対処できれば良いのですが、経験値の少ない人は社会に存在している混乱が自分の価値観にないものなので、対応できないで幻想の中に閉じ込めようとします。その幻想が大きく膨らむと精神状態が耐えられなくなるのです。

自分の目指すところに到達しようとすれば摩擦が発生します。それを目指しているのは自分一人ではないからです。多くの人が目指している座の頂点を捉えようとしたら、多くの人からの嫉妬、妨害などと対峙しなければなりません。対峙するためにはそれらの思いや感情を知る必要があります。但し自分が嫉妬に飲まれてはいけません。純粋で正義でありながらも嫉妬や妨害をする人の精神状態を知り、乗り越えていかなければならないのです。飲み込まれたら何かを得るかも知れませんが、そこまでです。

ところでブラック・スワンの意味を調べました。ブラック・スワンとは金融用語でした。その意味は次のようなものです。

「マーケットにおいて、事前にほとんど予想できず、起きた時の衝撃が大きい事象のことをいう。また、認識論学者で元ヘッジファンド運用者としての経験を持つナシーム・ニコラス・タレブが、2006年に刊行した著書「ブラック・スワン(The Black Swan)」で説明している考え方をブラック・スワン理論という。これは、従来、全ての白鳥が白色と信じられていたのが、オーストラリアで黒い白鳥が発見されたことにより、鳥類学者の常識が大きく崩れることになった出来事から名付けられ、確率論や従来からの知識や経験からでは予測できない極端な現象(事象)が発生し、その事象が人々に多大な影響を与えることを総称したものである」。

あり得ないことや予期せぬことが、あり得たら。現実になった時にどう対処するのかという問題がブラック・スワンなのです。白鳥の中に黒鳥がいた事実のように、あり得ないと思っていることがあり得る場合があります。信用していたら騙された。事実だと思っていたら事実ではなかったことは、比較的良くあることです。人を信用しないで生きることはできませんが、世界を動かすような大事件であれば別ですが、周囲で発生する出来事であれば、経験を積むことでブラック・スワンを最小限に抑えられそうです。経験から予測できないことでも、やはり経験を積み重ねることでリスクを押さえられると思います。

もし映画「ブラック・スワン」の主人公が舞台の後も生きているとしたら、汚れを身に付けた白鳥として、今度は現実のブラック・スワンを演じられると思います。そして汚れを知った白鳥は、もっと人に大きな影響を与えられるのです。人の隠された心を知り演じられ、そしてそれは決して正義ではないことを教えられるからです。