活動報告・レポート
2012年4月9日(月)
都をどり

春到来。恒例の都をどりツアーを開催しました。平成23年は東日本大震災と統一地方選の関係から実施できなかったのですが、今年は例年通りに開催することができました。バスは満員の50人の参加で、楽しい道中を経て京都府祇園に向かいました。2年ぶりの開催だったこともあり満員のバスを運行、そして都をどりを前の席で鑑賞することができました。桜満開の京都府を訪れ、そして春を感じさせてくれる都をどりを観て満足感いっぱいの企画になりました。

さて都をどりが始まったのは明治5年、今から140年前のことです。当時の京都府知事が祇園と掛け合って実現したそうです。当時約1100年も続いた都が京都から東京に移り、都でなくなったことを実感できない京都府として、都の名前を冠した舞踊を実現させたのです。都をどりは踊りではなくて京舞と独自のものです。踊りではなく舞いに近いもので、お能のような動きを基本としています。ですから動き自体は地味になります。そこでラインダンスのような集団で演舞する手法を取り入れたのです。芸子さんが多数出演するのは、大勢で舞台に登場することによって彩り、華やかさを表現させようとしているそうです。

ところで遷都する場合、天皇陛下から遷都の宣言があるのが通常だそうですが、京都府から東京都に遷都する時に遷都の宣言は無く突然だったという説明を聞きました。明治天皇が「東京に行く」とまるで旅行にでも行くような口調で突然、東京都に移ったようです。

当時の京都府の人たちは遷都とは思わないで、短期間東京都に行くような感覚であったことを聞きました。説明の中で「これは真実かどうか分かりませんが」という注釈がありましたが、少し不思議な感覚がありました。そんな京都府を取り囲む歴史によって都をどりが誕生したのです。

私達が鑑賞しているのは140年の伝統と歴史が積み重なった文化なのです。都をどりに関する説明を聞いてから鑑賞すると、今までと違った舞いに見えました。

言うまでもなく、都をどりは京都府の春夏秋冬を表現しています。京都の春がオープニング、夏、秋、冬と進み、最後はとても華やかな春に戻ってきます。春にドラマの幕が開き、一年の人の営みを終えて、再び春が巡ってきます。同じように見える春ですが、人は一年前から成長しています。そんな姿をラストの舞いで表現してくれます。

人は誰でも一年前の自分と同じではないことを感じさせてくれます。桜、海、紅葉、そして桜へと季節は戻ります。当たり前のように過ぎる自然の営みの中で人は日々を生き、そして成長を続けるのです。巡り来る季節は昨年の春を惜しむのではなくて、新しい春を希望の春として喜ぶのです。

春夏秋冬に登場する芸子さん達は、最後の春の場面でやっと全員が揃います。これは人には季節に応じた出来事がありますが、それぞれの季節を乗り越えた自分と向き合うための勢揃いのような気がします。つまり一年を通じて同じ出来事はなく、その出来事に出会い乗り越えた、それぞれの季節の自分達と出会うのです。誰にでも物語があります。一年を通じた自分の物語があるからこそ、人は成長していけるのです。何の物語もなく季節が過ぎるのを待っているだけでは人は成長することはできません。

三ヵ月毎に新しい物語が待っています。その舞台に上がるのは自分なのです。時には主役として上がり、時には脇役として上がるのです。それぞれの立場を全て楽しむことができる、それが人生というものです。三ヶ月は90日。偶然かも知れませんが、ひとつのことを継続したその成果を確認するために必要な期間です。ここで成果の確認をして達成感を感じ、また反省して次の三ヶ月へと進むのです。季節が変わるのは、それを気付かせてくれるためかも知れません。

参加した皆さんと春を楽しみました。こんな春を感じられる幸せを共有できたことに感謝しています。願わくば、和歌山市にも春の訪れを感じられる行事があって欲しいものです。

和歌山市の優れたものについて話し合いました。和歌山市内には和歌山西國三十三ヶ所観音霊場めぐりがあること。名草戸畔の伝説があること。日本三大祭に数えられていた和歌祭があること。これらの伝説や歴史を物語として多くの人に知ってもらうことが大事なことです。