あれから1年が経過しました。東日本大震災からです。平成23年3月11日は後援会活動の真っ只中で、和歌山市内の紀ノ川周辺を回っていました。津波警報が発令された中、紀ノ川河口に向かいました。幸い、和歌山市は被害はなかったものの、被災された東北の皆さんのことを思うと、一時、後援会活動を中止して状況を見守りました。
そして1年が巡りました。日本の転換点になった出来事は、今もわが国のしくみのあり方に疑問を投げ掛けています。津波から1年が経過して、復興に向かう過程の中で、日本がどの方向に舵をきるのか、大きな転換期は続きます。
和歌山市である組織の全国大会が開催されたことを知りました。和歌山市活性化のために歓迎すべきことですが、問題点の指摘もありました。福岡県から参加した団体からの指摘です。通常、全国大会を受け入れる場合、市役所と地元飲食店などが連携を図り、全国からお客さんを向かう入れる態勢を整えるのが通常だとうことです。
ところが和歌山市で開催されたこの全国大会では、受け入れ態勢がなかったという話です。会場はビッグホエールだったのですが、大会終了後のケアがなかったのです。全国大会に参加する楽しみの一つは、その地で味わえる飲食です。和歌山市に来た限りは、和歌山市の美味しいものを食べたい、地元の食材を使った地元の飲食店に行きたいと思うものですし、二次会にも行きたいと思うものです。多くの参加者はそう思って参加してくれていました。ところが会場での歓迎式典を終えた後は地元和歌山市からの案内がなく、土地勘のない参加者の皆さんは、行くところがなく大変困ったようです。「こんなことは考えられない」ということでした。
全国大会を受け入れる市は、市役所と地元飲食店が協力して参加者をお迎えします。事前の打ち合わせや協力を行います。例えば飲食店には、「この期間、全国大会に参加したお客さんが来店した場合は一律5千円で応対する」ことに統一することの協力要請を行ったりします。気持ちの良いサービス提供を受けたお店には再び来たいと思いますし、良い思い出を持ち帰ってくれた参加者は再び和歌山市に来てくれることになります。そんなおもてなしが必要でしたが、そうならなかったようです。
話を伺った飲食店経営者が残念に思って話をしてくれました。事前に市役所の関係者から全国大会があることの知らせもなく、当然、協力要請もありませんでした。直前にあることを知り、そして主催者からビッグホエールでの式典の協力要請があり、数人を式典に派遣したのですがそれだけで役割は終わり、お店への案内も誘導態勢もなかったようなのです。チャンスを活かしていない全国大会の態勢だったのです。
もっと残念なことは、ビッグホエールの式典を終えた後、ある県からの参加者は和歌山市に繰り出すこともなく、電車で大阪市内に行ってしまいました。その理由は、宿泊のホテルを大阪市に確保していたからでした。全国大会の開催地は和歌山市なのに宿泊は大阪市というのは戴けません。主催者は和歌山市内のホテルの紹介など事前に準備が必要だったのです。全国大会に参加してくれたお客さんを逃がしてしまったことは残念なことです。
こんなことを繰り返さないためにも、今後は事前準備とお迎えする態勢を整えたいものです。どこの市でも市役所と繁華街のとの連携はあるようです。繁華街は犯罪の多発している暗い街ではなくて、県内外のお客さんをお迎えできる街なのです。夜の街から繁華街が消失すれば魅力のない街になります。もっと通りを明るく、安心して歩ける街やお客さんを迎えられる街にするために行政機関との連携の必要性を感じました。
そのためには市役所と飲食店との連携はとても大事なことですし、そのことを飲食業界の皆さんが期待しています。
嬉しい会話がありました。19歳のある人達との話の中で「私達は和歌山市が大好きなので、東京や大阪に行きたいとは思いません。ずっとここで働いていたいし、暮らしたいと思っています。友達も同じ思いです。和歌山市は人の心が温かく、何かに追われるような感覚がないので、とても暮らしやすいのです」ということです。
こんな話から始まった和歌山市大好き会話は長時間続きました。だから「和歌山市をもっと元気なまちにして下さい」という依頼に応えなければならないと思います。これからの和歌山市を支える皆さんに将来を感じられる和歌山市を引き継ぎたいものです。