もう10年以上実施してきた「わくわく広場」も今日で最終回を迎えました。「わくわく広場」開催のために福崎空中広場を建設してから10年近くになりますが、この広場を取り壊すことになったため、今回が最後の集まりとなりました。
「わくわく広場」は恵まれない子ども達のために毎年、二日間、この空中広場でイベントを行っているものです。夏休みの期間を利用して実施しているのですが、新年度に入ると空中広場を取り壊すため、急遽開催したものです。
この建物を取り壊す理由は、現在の経済危機にあります。場所を提供してくれている会社も業績が悪化、資産活用の必要がありこの場所を物流基地として建て替えることになったのです。今まで場所の提供と建物を建築してくれたことに感謝の気持ちがあるばかりです。子ども達を支援するボランティア活動のために10年間も資産を提供してくれたことに感謝の気持ちでいっぱいです。ここまで提供してくれたこと自体が素晴らしいことで、全員がお礼の気持ちを述べさせてもらいました。
振り返ると、この広場には当初は建物がなく真夏の暑い日に屋外で二日間、子ども達とのふれあいから始まりました。そこで土地を所有している会社が、「子ども達の支援を通じて社会貢献ができるのであれば協力しよう」ということになり、世界的な建築家隅研吾先生に設計をしていただき、福崎空中広場が完成したのです。世界的な建築家が子ども達のために素晴らしい建物を作ってくれたのです。
これから毎年、この広場で楽しい思い出が作られてきました。ペーパーのファッションショーや段ボールでのジオラマ作り、手作りの釜によるピザ作り、ビオトープ作りなど行ってきたことを思い出します。子ども達の目の輝きと笑顔が毎年のイベントを築いてくれました。あの頃、小学生だった子どもが今では高校生になって参加してくれています。あの頃、もう小学校高学年だった子どもは既に高校を卒業していることから姿はありませんが、今も元気でいるのでしょうか。ここから旅立ってくれた子ども達が大人になっても温かい思い出として心に残ってくれていたら、企画と実践を行ってきた私達はとても幸せです。最後の「わくわく広場」では子ども達に、このイベントの思い出を絵に描いてもらいました。子ども達は思い出に残っていることや楽しかったことを描いてくれました。
そしてイベント終了後、壁に飾っていた展示物や時計、ぬいぐるみなどを全て片付けました。今まで生きていた空間が思い出の空間に変化した瞬間です。賑わいから静寂に変わった瞬間、涙を流すスタッフもいました。
スタッフの中心人物である一人の方から挨拶がありました。
「この空中広場が出来てから10年が経過しました。恵まれない子ども達を支援しようとして建物を建て、そしてスタッフで企画をしてきました。この空中広場の意味ですが、悩みや困っていることがあっても、ここに来て全てをこの空間に投げ出してもらったら気持ちがすっきりすることから名付けたものです。そして子ども達と一緒にいると、大人である私達スタッフが、子ども達の元気や素直さ、そして自然な姿に学ぶことができました。大人が自然な姿でいられたのはここで触れ合った子ども達のお陰だと思っています。この空中広場は無くなりますが、形を変えてこれからも「わくわく広場」は継続させたいと思っています。そしていつまでもこの素晴らしいイベントが続けられるように、スタッフとして頑張りたいと思っています。長い間、ありがとうございました」という言葉に改めて、10年も継続してきた人が持つ素晴らしい力に気づかされました。
一つのことを継続することは素晴らしいことです。簡単に見えても実は簡単ではないのです。笑いや涙があった10年間の「わくわく広場」ですが、当時からのスタッフは残っています。この精神を引き継いでいきたいと考えています。今年の夏は違った姿で復活する新生「わくわく広場」に期待しています。
そして空中広場を去る瞬間、今までお世話になったこの場所に全員で別れを告げました。「今までありがとう」。素晴らしい言葉を残して、福崎空中広場での最後のイベントを終えました。
スタッフは東京、大阪、神戸、そして和歌山から集まっていますが、それぞれの方向に戻りました。固定的な集合場所は無くなりますが、今年の夏の再会を約束して帰路につきました。素晴らしい時間を共有してもらえた皆さんに感謝しています。