活動報告・レポート
2012年2月23日(木)
太田城
工場建設

和歌山県内に新しい工場を建設中の経営者と支援制度に関しての協議を行いました。厳しい経済環境の下、新規工場建設を決断したのは、取引先からの要請と金融機関からの融資を受けられたことです。今の時期の決断は相当の苦悩があったようですが、思い切ったことから道が開け竣工に向かって行動を行っています。既に技術者の雇用を行い新工場稼動に合わせて即戦力体制になるように訓練を行っていますし、事務職員も採用して万全を期しています。

経験者は中途採用で将来の人員構成を鑑みて新卒の採用も行っています。企業は将来に向かって生きるもの、そんな逞しさを感じました。

ところで新工場建設が始まると同時に批判や中傷が始まりました。前に向いていこうとする人にはつきものなのが批判と中傷です。前に向いて泳ぎ出すと水の抵抗や波をかぶることがあるように必ず批判に遭遇します。批判されて嬉しい人はいませんから、極力避けたいと思いますが、批判を避けるということは自分のやりたいことを諦めるということです。

「批判があっても支援してくれる人もいます。批判が半分なら支援してくれる人も半分いるということです。支援してくれる人の顔を見て進みたいと思います」と話してくれたように、批判に向き合っても後ろを向くだけです。支援してくれる人を見ることで前進力が生まれます。

しかし人が支援してくれるまでには長い時間を要します。昨日、今日会ったばかりの人が全力で支援してくれることはありません。長い付き合いが熟成して信頼につながった結果が支援してくれる関係に結びつくのです。

そんな熟成させた信頼関係と支援体制を基にして、新しい工場の建設が進んでいるのです。決断の裏には自分に力を貸してくれる人の存在があります。一人では大きな仕事ができないことを知り、多くの人が支援してくれることを確信しているので投資する決断を行えたのです。荒波に立ち向かう経営者の心意気を感じ取れ、前進する力の大きさも実感できます。止まって考えていると前に進む力は起こりませんが、推進力がつくと物事は前に進むものです。

太田城

和歌山市太田にかつて太田城がありました。豊臣秀吉の水攻めによって滅ぼされたお城で、現在、その形跡を残しているものは少ないのです。和歌山市出水に堤跡がある程度なので地元以外にお城があったことは知られていません。

もし太田城が残っていたら歴史的価値があり、観光地としてもこの地は賑わっていた筈です。地元で太田城のことを研究している皆さんと懇談する機会に恵まれました。とても貴重な話を聞くことができ、地元の歴史の勉強になりました。中でも自費で「太田城と太田の歴史探訪」を発行している太田孝さんは太田城についてとても詳しく、そしてその歴史を記しています。

太田さんが太田城に関心を持ったのは随分と前のことです。広島県の教育委員会から、太田城を視察に行きたいと連絡が入ったことがきっかけです。太田さんは地元にいながら太田城のことを知らなかったのです。とりあえず太田城が存在した場所を教え、広島県教育委員会の方々に来てもらったのです。地元の人が地元の歴史を知らないことは恥だと思い、その後、太田城のことを調査するようになりました。今のようにインターネットで概要が調べられる時代ではありません。少ない文献や資料を捜し求め、そして研究している人を捜して歴史を調べていきました。そして完成したのが「太田城と太田の歴史探訪」なのです。当時はパソコンがなく手書きで資料集を作成していました。その後、パソコンで編集を行い自費で出版することができたのです。

元々紀州は大名が存在していない地域でした。地域のことは地域が決めるために代表による合議制が取られていたのです。そこに権力を握っている豊臣秀吉が攻め込んできたのです。巨大権力と民主主義との戦いの歴史であった点を太田城の水攻めを歴史として残しておきたいところです。戦国時代に既に、紀州では民主主義の土台ができていたのです。そんな民主主義を壊し去ったのが豊臣秀吉で、時代は民主主義の芽生えから逆行していくことになります。

紀州には巨大な権力がなく、みんなで支えあっていた歴史があるのです。その文化が今に伝わっているのかも知れません。

そんな紀州人の物語が詰まっている太田城跡地は民有地にあり、十分な保存はされていないのです。歴史の中に埋もれないように、史実を知った人が史実を継承し守っていくことも考えなければなりません。地元の皆さんは太田城跡と埋もれた歴史を次に伝えたいと考えています。太田城跡地はJR和歌山駅東口から比較的近くにあることから、このゾーンを歴史のエリアとして守り観光客に来てもらえないかを考えています。JR和歌山駅東口からは太田城跡、日前宮、竈山神社、伊太祁曽神社など歴史の宝庫となっています。和歌山電鉄貴志川線とも協力して、このあたりを周遊できるエリアとして地域活性化につなげたいと話し合いました。

宮地区にあるこれらの歴史を、もっと和歌山県内の皆さんにも知ってもらいたいものです。そして明日、和歌山県議会文教委員会の視察として訪問することになっています。公式な文教委員会としての視察が行われることを地元の皆さんは大いに歓迎と期待をしています。これを契機に保存と観光資源として認められるようにしたいものです。

次期体制

和歌山ゴールドライオンズクラブの次期委員会体制について次期幹事と協議しました。会の運営をスムーズに、そして楽しいものにするためには委員会構成が大きな役割を果たします。理事と委員長の意思疎通と連携が会の活性化に即つながります。

次年度に会長に就任させてもらう立場からすると次期幹事を引き受けてくれたこと、そしてその存在は心強いものがあり、やる気になっています。次期幹事と共に会の運営の仕事ができることは楽しみであり、何としても楽しい会に仕上げたいと思っています。

次期幹事からも「なんだか楽しくなりそう」という言葉がありましたが、協力体制を取ってもらえると会の運営も、そして会そのものが楽しくなります。

楽しい協議の場となりました。次期幹事さんにはご苦労をお掛けしますが、是非ともよろしくお願いいたします。

その他
  • 夜は午後10時まで、和歌山県を元気にするプロジェクトの打ち合わせを行いました。集まってくれた皆さんは活力があり地域貢献に熱心です。この力を結集させて大きな力に発展させたいと考えています。
  • ライオンズクラブ会員の身内がお亡くなりになり、お別れの会に出席させていだきました。心からご冥福をお祈りしています。