文教委員会の三日目、最終日を迎えました。最初に訪れたのが慢湖水鳥・湿地センターです。平成11年にはラムサール条約に国内11番目の湿地として登録されています。
漫湖は南城市を流れる国場川と、豊見城市、南城市を流れる饒波川が合流する河口域にひろがる湿地帯です。近年になって、上流域からの土砂の流入や生活排水などの影響でマングローブ林の拡大と干潟面積の減少等の環境の変化が見られるようになりました。その影響もあってシギやチドリ類の渡来数と種類数が減少傾向にあります。
そのため漫湖水鳥・湿地センターは水鳥をはじめとする野生生物の保護と湿地の保全について理解を深めていくための普及活動や調査研究。自然観察などを行う拠点施設として活動するため環境省が設置したものです。
貴重な水鳥が減少していること、湿地帯の果たす役割の大きさを学ぶことが出来ました。湿地帯はカニやはぜ類などの生物を育む生命の源になっている場所です。カニは湿地帯に流れ込む有機物を食べてくれるので、私達の生活環境の保全に役立っています。そんな生物が住めない環境に変化させることは人間が生活できない環境を作ることになります。今まで来ていた渡り鳥が来ないようになることは自然環境が悪化していることを示すもので、ここで生活をしていた生物や水鳥が減少していることは環境を後退させていることを示しています。守るべき自然がここにあるのです。
加えて生態系の変化はそれまでの自然環境を破壊する一面も伝えてくれました。この湿地帯にはマングローブの森があります。自然に溶け込んでいるように思っていたのですが、好む湿地帯にマングローブは存在していなかったのです。かつて人によって植林されたものが増殖して森を形成しています。
少ない時は問題がなかったのですが、増えすぎたことが問題になっています。マングローブは湿地帯を陸地化させる役割を果たしているからです。貴重なこの湿地帯が減少してマングローブの森、つまり陸地化が進展しているのです。そのため水生生物の棲み処が減少し、その結果それらの水生生物を餌にしている水鳥が減少しているのです。
それまでなかったものが増えると、それまでの自然が破壊されていくのです。ただマングローブの森を伐採すると自然保護団体から抗議が殺到するようです。自然破壊だという理由からであり、そこには水生生物の保護、水鳥の飛来する環境を取り戻すことへの理解に時間を要しています。
一部、マングローブを切って湿地帯を取り戻した場所には水鳥が戻ってきているようです。どれだけ元の自然環境が大事なのかが分かります。ラムサール条約に登録された貴重な湿地帯を見ることができ、この場所の自然環境を保全することの重要性が理解できました。
最終の視察先は、旧海軍司令部壕資料館です。案内によると、ここは昭和19年に日本海軍設営隊(山根部隊)によって掘られた司令部壕で、当時は450メートルあったと言われています。カマボコ型に掘り抜いた横穴をコンクリートと杭木で固め、米軍の艦砲射撃に耐え、持久戦を続けるための地下陣地で、4000人の兵士が収容されていました。
また資料館前にある慰霊塔は、昭和33年に沖縄海友会と海軍戦没者慰霊之塔建立発起人会によって建立されています。野村吉三郎の文字が見えています。和歌山県出身の軍人の名前がこの場所で確認できたことは驚きでした。
二度と戦争を起こしてはならないという思いが湧いてくる施設です。沖縄県の戦争の歴史と現代に至るまでの苦しみは想像できませんが、沖縄県が戦争の傷跡による苦しみから解放される日が訪れるまで、戦争との戦いは終わらないような気がします。
今回の文教委員会の視察で学んだことはたくさんありました。英語教育の重要性、自然環境保全の重要性、戦争の傷跡を一掃することなどです。次回の文教委員会で活かしたいと考えています。
和歌山県に帰ってからKさんの自宅にお悔やみに訪れました。1月24日にお亡くなりになった奥さんに対するお悔やみです。突然の交通事故で32年間連れ添ってきた奥さんを亡くした悲しみに接し言葉がありませんでした。市内を自転車で走っていたところ、暴走してきた自動車にはねられたのです。癒されることのない悲しみがあることを知りました。心からお悔やみ申し上げると共に、こんな状況時における無力感を感じるばかりでした。