「和歌山市は遠いね」。訪問した先の方が、元旦に大阪市在住の友人から言われた言葉です。時間にして電車で1時間の距離ですが、神戸市や京都市へ行くことを思うと和歌山市は遠く感じているようです。時間的距離も1時間ですが、それ以上に心理的距離として遠く感じているような気がします。
大阪市から和歌山市に行く理由がないことが、心理的距離を遠く感じさせている原因だと思います。「仕事で和歌山市に行くことがない」、「特定の場所への観光に行く場所がない」と言っていたことから、何も要件がないところに行くことは考えないし、何も行く要件がないと必要以上に遠く感じるのです。
和歌山市で仕事があれば行くことは躊躇することはありませんが、何もないのに、例えばビラを配るいという仕事のために、誰も知人がいない和歌山市に行くことは抵抗があります。その心の抵抗がそのまま心理的距離として感じるのです。「和歌山市に行くのは嫌だなぁ。和歌山市は遠いなぁ」となるのです。
観光にしても、その大阪市の友人は「和歌山市は海かな。海に行きたいと思うけれど冬は行く場所がないですね」と言っていたようですから、近隣の観光地としても考えていないのです。
和歌山市を遠く感じさせているのが問題なのです。仕事で行く必要がある。観光に行きたい場所があると思わせることが、和歌山市を近くに感じさせることになります。少なくとも「和歌山市までは3時間位かかるかなぁ」などと思われないようにしなければなりません。
消費に関しての意見です。「消費は美徳でも悪徳でもない。使うことが経済を刺激しているのだから使うことを意識するだけで良いのです」。そんな話がありました。他人が儲けたお金をどう使おうと文句を言ってはいけないということです。消費してくれていることが地域経済に寄与しているのですから、お金を使う人を批判してはいけないということです。
また、「日本は銀行への信頼が極めて高いので、政情の不安定な国と比較して箪笥預金は殆どない。箪笥預金ではなく多くのお金が銀行に預けられていることから銀行が再投資できるので、わが国が経済成長した経緯がある」と話してくれました。
政情が不安定で銀行も何時潰れるのか分からないような状態であれば、預金する人は少なくなります。危険な銀行の場合、相当の高い利率をつけなれれば銀行預金に回らないのです。日本の銀行は安全だと認識されているため預金してくれるのです。
経済成長のために安全な銀行が必要な存在なのです。銀行が安全ではないと思われるようになると箪笥預金が増えますから、経済にとって良い出来事だとは言えません。
消費は美徳でも悪徳でもなく意義のあるものだと認識すべきものであり、お金を使う場面がなければ銀行に預けることが経済にとって必要なことなのです。
多くの会社が仕事始めを迎えたので、本日は14社を訪ね新年の挨拶を交わさせていただきました。新年の喜びの中にも経済環境の厳しさを感じていることが会話の中に随所にでてきました。円高、エネルギー問題などから今年の見通しが立たないと感じている人が多く、希望と不安が入り混じっていました。
しかし元気な会社もありました。元気な会社に共通していることは、建設現場を持っていること、人手が不足していること、新しい事業計画があり実行に向かっていることなどです。元気な会社からは活気が感じられます。対応していただいた皆さんに感謝しています。ありがとうございました。
連合和歌山の新春の集いが開催され出席いたしました。知事と市長、国会議員も出席した新年らしい会となりました。政府税調の報告では、若い人たちの将来の社会保障費などの負担を軽減するために消費税増を決定した経緯などの説明がありました。また紀伊半島大洪水から復旧に向かう予算措置や、復興に向けての政府からの道筋が必要なことなどの話もあり、今年もこの会から新春のスタートを切りました。