最初の訪問先は財団法人放射線影響研究所です。ここは昭和50年に現在の姿の研究所として設立していますが、元を辿れば昭和22年に原爆障害調査委員会が創設され、調査活動が開始されたことに始まっています。この研究所では広島県と長崎県の被爆者の寿命などに関する疫学的研究を行っています。被爆者約120,000人を抽出して現在に至るまで疫学調査を行っているとても貴重なデータを扱っている研究所なのです。死亡原因調査によって被爆者の寿命が非被爆者と比較して短くなっているかどうか、各種がんの発生、そのほかの主要疾患による死亡と原爆放射被爆との間の関係など、長期的な疫学的調査を継続実施している機関なのです。これまでの調査結果から原爆被爆者のがん死亡率が被ばく線量に応じて高くなることが観察されていて、国際放射線防護委員会での被ばく線量安全基準設定の一つの根拠にもなっています。
予算ですが極めて珍しい形態をとっています。日本と米国が半分ずつ負担しあっているのです。但し最近の円高の影響から1,400万ドルを負担の基準として、円高による差額は日本が負担することに財源捻出は変更されています。
さて放射線被爆について意見交換が図れましたが極めて専門的で難解です。一般的に100ミリシーベルト以下では、がんの過剰発生が見られないとされています。専門家の見解によって結論は異なりますが、100ミリシーベルト以下なら放射線を受けた場合の有意な差とならないため、本質的にはそのリスクが分からないというものです。100ミリシーベルトを超えるとリスクの範囲ははっきりとしてきます。1グレイを超えると全がんの死亡、罹患が約40パーセントから50パーセント増加することになります。但し前提条件は、30歳で被爆後、70歳の時に非被爆者と比較した場合のリスクです。
また同じ100ミリベルトを被爆しても、一瞬で被爆した状況と20ミリシーベルトを5回に分けて被爆したのとでは人体への影響は異なります。説明者の個人的見解として、そのリスクは2分の1程度になるというものでした。一瞬で被爆するのと1年間で同じ放射線量を受けるのとでは、そのリスクは大きく異なるのです。
被爆した場合の人体への影響が難解な理由は、リスクは連続しているからです。どの断面で影響を図るのかによって結論は異なります。どこかを基準としなければリスクの影響を評価できません。今リスクを推定するのか、明日推定するのかにもよって見解は異なります。もうひとつがリスクと防護基準の考え方が混乱していることも、放射線被爆量の問題を難解にしています。
リスクはゼロになりませんが、被爆直後からその影響は減少していきます。それに対して防護基準は一定量で示されます。リスクがゼロにならなければ心配する人が多いのですが、地球にいる限りそうはなりません。
質問をしました。福島第一原子力事故で放射線を浴びた人のリスクはどの程度なのでしょうかという質問です。作業員などの特別な人を除くとリスクはゼロだと答えてくれました。つまり非被爆者と有意な差はないということです。私達は自然放射線を浴びて生活していますが、自然界から受けている放射線量とわずかな量が加わる程度なので影響はないということです。参考までに日本人一人当たりの自然放射線を受けている量は年間1.5ミリシーベルトですから、今回放射線を受けたとしても、影響がないとされている100ミリシーベルトには遥かに及びません。明確な回答をいただきました。
これもこの研究所の調査結果なのですが。昭和20年、つまり広島県に原爆が投下された時を基準としたものです。その当時被爆した人が将来がんで死亡する確率がどれだけ増加するかの数字があります。100ミリシーベルトを被爆してがんで死亡する割合の増加率を示します。
10歳だった人は男性で2.1パーセント、女性で2.2パーセント増加となります。30歳だった人は男性で0.9パーセント、女性で1.1パーセント。50歳だった人は男性で0.3パーセント、女性で0.4パーセントの増加となっています。非被爆者と大差はないようです。但し、この2パーセント増加という数字は評価する人によって意味は異なります。大きな差だと捉える人もいれば差は少ないと捉える人もいます。数字としての増加分はこのパーセントだということを示しておきます。
以上が視察結果です。福島第一原子力事故の問題が長期化する中、放射線の人体への影響について学べた極めて有意義な調査となりました。そしてこの財団法人が広島県と長崎県の原爆投下した人のがんのリスクの影響について継続して調査していることを知り、とても驚きました。不幸な出来事でしたが、その後の疫学的調査が続けられ、その後の人類と放射線との関係についての貴重な調査データが取られているのです。日米で財源を捻出しあって調査が継続されていることの意味もかみ締めたいものです。
夜は日頃から大変お世話になっているMさんの還暦お祝い会に出席しました。還暦のお祝い会とは60歳に達したことを喜び合うものですが、Mさんは現役バリバリの経営者で、到底60歳とは思えません。60歳のお祝いというよりも生涯現役のスタートのような会となりました。今も台風12号被害の那智勝浦町の現場に毎週一度は行って復旧支援を行っています。現状からすると3年間で復旧は無理だという見解を示してくれました。また復旧に際して地元事業者に仕事をしてもらいたいと話してくれたように、県外事業者に発注されている場合があるようです。その辺りの事情も確認しながら、来週から始まる県議会定例会で取り上げたいと考えています。
Mさん還暦おめでとうございます。