和歌の浦の高津子山の清掃活動に参加しました。秋が深まっていますが、高津子山には青く茂った草が覆いさっていました。ボランティアで参加した皆さんと一緒に雑草を刈り取る作業を行いました。大変な量の草を手作業で刈り取っていきます。夏のように汗は噴出しませんでしたが、木の実や蜘蛛の巣が身体に付着してきます。季節と和歌の浦の景勝を感じながら清掃を行いました。冒頭、挨拶をさせてもらいました。
おはようございます。今日は昨日と打って変わり絶好の清掃日和となりました。ここからの和歌の浦の眺めは素晴らしく、景勝地で清掃活動をできることを楽しみたいと思います。昨日、和歌山県の建築物などの価値を知るための近代化遺産の講演に行ってきました。私達の地域にも大切な文化遺産があります。和歌の浦は建築物ではありませんが、歴史と文化が今に伝えられている地域です。建築物も景観も私達が守り、そして活用していくことを大切にすべきです。放置しておくと消えてしまいます。和歌の浦の景観も私達が守っていることを誇りに感じながら、今日一日、清掃活動を一緒に楽しみたいものです。昨日の雨で地面が滑り易くなっていますから、気をつけて清掃を行いましょう。今日はよろしくお願いいたします。
山の斜面の草刈を中心に作業を行いました。熊笹を初めとする草は一面に茂っていて、きれいにするのに相当の時間と体力が必要でした。何百回かそれ以上、剪定鋏を使っていると握力が弱ってきます。それでも山肌がきれいになってくると嬉しくなるものです。次々と面的に広がっていき、みんなの力で相当の範囲がきれいになりました。
清掃活動で汚れた場所をきれいにすると、作業に携わっている人の心もきれいになっていくように感じます。茂った草の中からトタン空き缶が出てきますが、見えないところにゴミを捨てる心の汚れた人間がいるのです。茂みで覆われたそんな闇の心に対して、太陽の光が差し込むように草を刈り取ると、その場所も心もきれいになっていくのが分かります。清掃はまちをきれいにするだけでなく、人の心もきれいに浄化してくれるのです。
高津子山を桜の名所にしようとする動きもあります。皆さんの心がつながって、やがて桜の名所になっていくような気がしました。呼びかけ人の名刺には、その光景が印刷されていました。思いは現実につながっていきます。
清掃終了後、アフリカの希望チャリティコンサートに行ってきました。アフリカの貧しい国を支援する団体が主催したもので、アフリカの現状の報告を受けました。貧困は犯罪につながります。犯罪を抑止するためには貧困を解決することですが、そのための活動は誰にでもできるものではありません。活動をする人、その活動を報告する人、そしてそれらの活動を支援する人がいても活動は成り立つのです。今日のチャリティで集まったお金は約50万円。全額、目的に沿って寄付されることになっています。
さてゲストは掛屋剛志さんで、奇跡のピアノ演奏を聴かせてくれました。神様を見ているような素晴らしいコンサートでした。言葉で書き記せないことが残念ですが、鳴り止まない拍手、それも両手を力いっぱいに叩いての拍手が会場を包み込みました。それだけ素晴らしいコンサートでした。
掛屋剛志さんは19歳の男の子。全盲で知的障害を抱えています。障害は個性だと思って育てている両親と暮らしていますが、幼い頃から音楽の才能がありました。テレビやラジオで2〜3回、同じ曲を聴くと、その曲をピアノで演奏することができるのです。目が見えないので楽譜もなく、頭の中に入った音をピアノで再現するのです。
今日のコンサートは優しくて温かくて、心が満たされるものになりました。コンサートを聴いて涙が零れそうになることは滅多にありませんが、会場がそんな光景に包まれました。人に感動を与えてくれる掛屋剛志さんの演奏と歌声は本当に素晴らしいものでした。
ピアノは自己流なのに優しい音色が響きます。間近で聴くと素晴らしい音楽の才能の持ち主であることが分かります。演奏をしていて気持ちが良くなると身体全体でその喜びを表現してくれます。身体を左右に大きく揺すって、喜びを私達にも伝えてくれます。人は他の人にはない個性を持っています。その個性を磨き人に伝えることが他人に感動を与えるのです。音楽を文章で表現することは難しいのですが、鳴り止まない拍手のコンサートであったことを伝えて、これからの掛屋剛志さんの活躍を大いに期待しています。
森久美子先生のフラメンコライブに行ってきました。「アンダルシア・スペシャル・フラメンコ・ライブ」は熱気に溢れ、見る人を魅了しました。フラメンコを初めて見たYさんは「格闘技ですね」と漏らしたように、優雅な踊りではなくて格闘技の強さと迫力を持っています。特にスタジオでのライブは踊り手の息遣いや汗が流れ落ちていることが分かりますから、迫力と人間らしさを感じることができます。
緊迫した空気を切り裂くカンテ、それに合わせる舞踊家。ライブだから感じられる緊張があります。そしてフラメンコの表現の違いを感じます。やはり日本人のも持つしなやかさとスペイン人の持つ情熱は、それぞれ踊りの中で自然に表現されています。どちらが優れているというものではなくて違いがあるのです。日本人が持っている優しい気持ち、表に出ない品性が踊りの中で表現されていますし、スペイン人が秘めている情熱と荒々しさも踊りの中で表現されています。これらは意図して表現しているものではなくて、踊りの中に民族として持っている魂が宿っている感じなのです。 そしてフラメンコは踊り手の感性が感じられます。同じ曲であっても毎回踊りは違います。美的感覚、その時の思いなどが踊りとして表現されているので、心情が踊りの中に表れるのです。冬が近づく寒さの中、秘めた熱気がスタジオを覆いました。
これから一気に冬へと、そしてクリスマスへと時は流れます。森先生、そして舞踊団の皆さん本当にありがとうございました。