活動報告・レポート
2011年11月5日(土)
津波防災の日
海岸清掃
海岸清掃

台風12号の被害によって、和歌山県内各地の海岸に流木が流れ着いていることで砂浜が荒れています。午前中、片男波海岸で清掃活動を行いました。参加者は300名以上あったと思います。大勢が海岸に散らばり一斉に清掃を始めました。海岸は一見すると変わりがないように思うのですが、砂浜に入ると流木で汚れています。巨木から小枝まで無数に散らかっていて、どれだけ拾ってもきりがありません。参加した皆さんのゴミ袋はいっぱいになっていますが、それでも片付かない程の量です。

これだけの人数が参加しても海岸の流木はなくなりません。小さな木片は砂浜に埋まっていることから、拾い出したらどれだけでも出てきます。意地になって拾うのですが次から次へと出てきます。

拾いきれない流木の量を前にして一瞬、ゴミ拾いの意味を考えましたが、この活動はとても意味のあることなのです。一人が拾うゴミの量は限られていますが、その一人の行為がなければ、その人が今日拾ったゴミは砂浜に散らかったままなのです。確実にゴミは減少しています。一人の行為は小さなものですが、昼前に砂浜全体を見渡すと、来た時よりも随分きれいになっていました。

海岸清掃

流木は大きなものは海岸にまとまった形で置いて、後に火で燃やします。小さな木片はごみ収集に来てもらって処分します。清掃をし終えた後は爽快感があります。土曜日の午前は何の予定もなければ、寝る時間が多くなるだけですが、ボランティア清掃に来ることで半日が有意義な時間になります。身体を動かす爽快感、海岸をきれいにする気持ち良さ、台風12号被害に関わっていることの実感など、得るものが多くあります。

参加してくれた皆さんに感謝の気持ちを感じつつ、清掃活動を終える頃に雨が降り始めました。天も微笑んでくれたようです。

津波防災の日
津波防災の日

平成23年11月5日、今日は津波の関する法律が制定されてから初めての津波防災の日を迎えました。この日を記念して和歌山県と東京を結んでの「稲むらの火」シンポジウムが開催されました。

関西大学社会安全学部長の河田恵昭先生による基調講演、岩手県山田町の沼崎喜一町長の特別講演、そしてパネルディスカッションが催されました。

言うまでもなく河田先生はわが国防災対策の第一人者です。先生からは157年前の今日、安政南海地震が起きた日であり、平成23年6月24日に施行された津波法から、最初の津波防災の日となったことの意義を紹介してくれました。安政南海地震の時、津波から広村に住む人の命を救ったのが浜口梧陵で、その功績を称える日が津波防災の日なのです。

つまり和歌山県の偉人が多くの人の生命を津波から守った日が今日の津波防災の日の意味であり、和歌山県にとっては極めて意義のあることです。津波防災の先駆県が和歌山県であることを全国に知らせることになるからです。その意味からも全国で模範になるような防災対策に取り組む必要があります。注目をされるということは、多くの人に見られているといことです。津波防災の日の発信地である和歌山県の防災対策が遅れているようなら知行不一致となり、全国の笑いものになります。それだけ気を引き締めて今日の日を迎えています。稲むらの日シンポジウムを開催した趣旨もそこにあり、来年度は全国に広げたいものです。

さて河田先生から浜口梧陵の功績は三つあることを伝えてくれました。

ひとつは稲むらに火を燃やして住民に知らせたこと。つまり逃げ切ることが如何に大事かを今に伝えるソフト対策を行ったこと。

ふたつ目は、後世の時代の安全を願って防波堤を造ったこと。これは津波を跳ね返すためのハード対策です。

最後は津波が去った後の苦しい生活の中にいる住民に仕事を与えた励ます対策を行ったことです。

これらの功績が、浜口梧陵を防災の先駆者として語り継がれている要因です。今も逃げる、防ぐ、復興の取り組みが大事であることに変わりはありません。

そして浜口梧陵が偉人と評価されているのは、もうひとつの理由があります。浜口氏は津波に襲われて壊滅状態になった広村に防波堤の建設を当時の紀州藩に申し入れました。防波堤を造らなければ、今後、広村には住めないからです。紀州藩は防波堤の建設は認めましたが、資金を出すことは拒否しました。そこで浜口陵は私財を投入して防波堤建設に取り組んだのです。私財を投じて住民の生命と生活を守ったこと、地域振興に尽くしたことが偉人として評価されている理由です。

ところで東南海・南海地震の発生確率は60年以内に30パーセントを越えました。いつ発生してもおかしくはない確率になりました。この地震の周期は100年に一度されているので、早急の防災対策に着手していますが、まだまだ不完全です。早く、できる限りの対策に取り組んでいます。

和歌山県には浜口梧陵の精神を受けついでいる伝統があります。津波対策を行い、そして和歌山県議会初代議長を務めています。その精神は県議会棟の庭に銅像として立つことで受け継がれているのです。いつも初代議長が議会を眺めている。偉大の功績を再認識することでそんな気持ちになります。

11月5日は津波防災の日であることを忘れないこと。そしてこの日は安政南海地震が起きた日であり、浜口梧陵が広村の人達を救った日なのです。それが後世の私達が認める津波防災の日として相応しい日なのです。