活動報告・レポート
2011年11月3日(木)
阪堺線
阪堺線

和歌山電鉄貴志川線が快調に走っていますが、和歌山県と和歌山市、そして紀の川市からの補助金は10年を予定していることから、継続に向けて準備を整えるのに必要な時期に差し掛かってきました。存続してから7年が経過しようとしています。公共交通として、観光の拠点としての役割は従来以上のものがあり、和歌山市にとって10年目以降の存続は絶対に必要です。

阪堺線

そんな貴志川線を応援するために、開通100周年を迎えている阪堺線を視察、乗車することにしました。南海和歌山市駅から堺市まで乗車し、堺市から大阪市内まで阪堺線に乗車しました。阪堺線は道路を走る市電で、観光客にとってとても利便性の高い交通手段です。阪堺線沿いに寺院があり住吉大社もあります。多くの観光名所が沿線にあるので、なくてはならない電車です。100周年を迎えて堺市と協働しながら次の1年を迎えようとしています。電車賃は一律200円で利用し易くなっています。乗客は満員で堺市民に愛されている様子が伺えました。

さて堺市で降りたところ、堺市では観光イベントが開催されていました。堺観光ボランティア協会による堺市出身の偉人の紹介をしてくれました。堺市の偉人は千利休、与謝野晶子などが代表的な人物です。中でも千利休は幼い頃の住居とされている場所の前にイベント会場を設置していたことから多くの人が訪れていました。

千利休のおもてなしの心、茶の湯利休七か条について、ボランティアガイドさんから教えてもらいました。

  • 花は野にあるように。
  • 炭は湯の沸くように
  • 夏は涼しく。
  • 冬は暖かく。
  • 刻限は早めに。
  • 天候似ても雨の用意。
  • 相客に心をつけ従事。
阪堺線

以上が七か条です。当たり前のことを当たり前にできるようになることが、おもてなしなのです。千利休は70歳の時に豊臣秀吉から切腹を命じられました。価値観の違いがあったとされていますが、その時の気持ちについての話も聞かせてもらいました。無念さが残っただろうと思いますが、今もなお、日本人の心を説いた茶の心は残っています。

そして最も印象に残ったのは、千利休に師匠がいたことです。誰でも最初は初心者ですから先生かいるのは当たり前ですが、千利休にも先生がいたのです。近くにお墓がありましたが、偉人を育てた先生が歴史に名を残すことなく堺市にお墓が存在しているのです。

これだけの偉人を育てた先生とは一体どんな人物だったのでしょうか。とても興味があります。先生がいたからこそ千利休が誕生したのです。歴史に名を残す人物であっても、そこに先生の存在があること。そのことを決して忘れてはいけないことです。

一人の力で歴史の舞台を歩けた人はいないのです。私達にも先生がいて、いつかは後輩に何かを教えられる先生になりたいものです。

講演会

元阪神タイガースの川藤幸三さんの講演会に行きました。阪神タイガースOB会長を務めるだけに親分肌的な人柄は抜群でした。高校生時代の福井県予選決勝戦、一点をリードされた6回裏に満塁ホームランを打ったことで甲子園出場を決めた話をしてくれました。甲子園に出場するためにお寺で元旦を除く毎日精神修養を続けたことから、この肩に力の入る場面で丹田だけに力を込めることができ力みがなくカーブに対して自然にバットが出てホームランになったのです。力が入ると良い結果がでませんが、緊張する場面では力が入るものです。そうならないために日頃からの修行があるのです。毎日の修行が、ここ一番の時に力を発揮させてくれるのです。この日のために、またはこの日を目指しているのであれば修行を続けるべきです。

そしてプロ野球の世界での一流選手の姿勢について学ぶことがあります。一流選手は、当たり前のことを当たり前に行っています。反復の繰り返し。もう一回、もう一回を飽きることなく続けます。繰り返すことが一流への道なのです。そして反復している中から新しい発見があります。それに気づいた時に成長できるのです。

一流への道について学ぶことはまだあります。レギュラーになる選手は人が遊んでいる間も休まないで毎日バットスイングを繰り返しています。名球会に入っている元阪神の選手は二軍時代に毎日、寮の屋上で21時から素振りを行っていました。内角、外角、そして高目、低目の各コースを想定して素振りをしていたのです。この時間は自分が決めた時間で、誰からも侵害される時間ではないのです。一日24時間の中で、自分が支配できる時間を持つことが必要です。毎日1時間だけでも自分のために使う時間を設けて、他から支配されないで自由に使うのです。それが自分を成長させてくれる秘訣です。

毎日1時間、自分のためだけに使う時間を確保することで成長曲線は上を向いて動き出すのです。

もう一つ印象的な話を記載します。川藤選手が二軍時代の、朝の練習の時の出来事です。その日は前日からの腹痛で、朝の練習に参加できる状態ではなかったのです。監督にお腹の調子が悪いので今日だけ朝の練習を休ませて下さいと申し出ました。二軍監督は、もう荷物をまとめて福井県に帰れと一言でした。その理由は簡単です。もし朝の練習ではなくて、一軍に昇格して一軍監督から代打を告げられた時に、腹痛なので代打には出られませんと言うことはないからです。一軍であれば言わないことが二軍の練習だから問題はないと舐めて掛かっていたからです。自分で理由をつけてやらない、また自分の思いを正当化することは指揮者から評価されません。小さな場面でも全力を傾注することが大きな仕事をさせてもらうために必要です。二軍だから真剣に練習をしなくても良いと考えているようでは永久に一軍からお呼びが掛かりません。二軍の姿勢が一軍に直結しているからです。

その後、懇親会に出席して懇親を深めました。