活動報告・レポート
2011年10月15日(土)
視察二日目

北京市内にある世界文化遺産二箇所を訪ねました。

頤和園

頤和園は北京市内にある世界文化遺産です。西太后が第二次アヘン戦争によって破壊されていた庭園を修復して現在に至っています。自身の隠居後の住居として建築させるためにその修復費に軍の北洋艦隊の増強費を充てたことからことで清王朝の滅亡を早めた原因とされています。そして頤和園は西太后の権力の絶対的な強さ、欲の深さを示すことが分かるものです。

人工の池の広さ、そして人工の山の大きさ、庭園の景観美と建造物の豪華さ。どれを取っても絶対的な権力によって形成されたことが分かります。今まで庭園を見た中では一番権力を感じるものです。繰り返しますが、これだけの庭園を造れる権力が存在していることに驚きますし、圧倒的な王朝であったことが分かります。しかし権力は国を滅ぼすという例えの通り、その修復予算がネックとなり王朝が崩壊する歴史がここに残っています。

頤和園

権力は文化を築き素晴らしい建築物を残してくれます。しかし、それが行き着いた先には滅亡が待っています。歴史は正確にそれを繰り返しています。政治的に歴史を学ぶことは、それは権力に奢らないこと、財政の管理をしっかりとすることにあります。

西太后が見た当時と同じ景色がここにあります。庭園の象徴的なものに雲と蓮の彫刻があります。雲は、この庭園が天から下界を見下ろすこと、地上の遥か上を行く権力を誇示するものです。蓮は食料が抱負にあることと信仰を表現しています。

人は権力を求め、権力を得た後は栄華を極めますが、決して長くは続きません。そして偉大さと儚さを残して旅立ちます。ただ巨大な権力は歴史上の偉大な建造物や物語を残すことも事実です。西太后が存在していなければ、この庭園の凄さを伝えてくれなかったかも知れません。そうすれば権力に奢る愚かさを感じることもできませんし、王朝の末路の物語を実際に見て体験することもできなかったのです。

権力の象徴は常に私達に気付きと教えを与えてくれます。その教えを基にして、人は同じことを繰り返さない新しい歴史を築いていくのです。

そして万里の長城は、総延長8,851.8kmの想像を絶する長さで険しい山々に設けられている城壁です。詳しい解説は不要な世界文化遺産ですが、写真で見ると違って階段の段差が高く、そして一段毎の高さが違うので、とても歩きにくいのです。少し登っただけで足に痛みが出るような階段で、予想を超えるものでした。歴史的建造物ではエジプトのピラミッドが最大のものだと思っていましたが、それと同等かそれ以上の規模とスケールを誇っています。

万里の長城 万里の長城
万里の長城

この建築物は中国北部の騎馬民族の襲来を防ぐために造られたもので、秦の始皇帝が建造したとされています。現在の万里の長城は明王朝の時に修復または建造されたもので、圧倒的なスケールです。

どんな工法で築いたのか、何年を要したのかなど不明なことが多く、秦の時代、または明の時代にしても、重機のない時代にそれだけの建築物を造ったことは信じられないものです。国家事業として国を固める役割があったのか、人民の心を一つにすることができたのか、それさえ分かりません。日本列島の長さの二倍の総延長は、事業としては大規模を通り越したものですし、それが必要だったのは敵の脅威が凄まじかったことも考えられます。初めて中国を統一した秦が騎馬民族から国民と国土を守るための事業だったこと、そして今で言う国防の必要論が高まった結果かも知れません。 

万里の長城

近年は歴史に残るプロジェクトが少ない様な気がしますが、それは絶対的権力がなくなり、民意に基づいた事業となっているからです。歴史に残らない政治家が多い問い批判もありますが、絶対的な権力者の出現を許さないこと、そして公平性が高まっていることから、頤和園や万里の長城のような建造物が出現する可能性は極めて低いと感じます。果たして平成の時代、日本では何を残したのか、遠い将来議論されることがあります。何も残していないのは王朝ではなく民主主義の結果であり、直接的な敵がいないことから脅威が少なくなっていることも原因だと思います。少なくとも興亡の歴史の中において現代は、敵国によって滅ぼされる脅威は少ない時代です。