和歌山市料理飲食業組合の皆さんと研修会に行ってきました。午前中、節電と電気の関係を知るために御坊発電所を訪ね、午後からは防災を学ぶために稲むらの火の館を訪ねました。結果として、今年惹起した大きな課題であるエネルギー問題と大災害への対応について皆さんと一緒に学ぶことができた有意義な研修会となりました。参加した全員が、「意義のある研修会でした」と話してくれたように満足感がありました。
御坊発電所は出力180万kWの火力発電所です。和歌山県の最大電力が約140万kWですから、この発電所一つで和歌山県全部の電力需要を賄うことができる規模です。ただし90パーセントは京阪神に送電し、10パーセントが地元地域の電気として使われています。
昭和59年9月14日に御坊発電所1号機が完成している記念日に視察することができました。原子力の安全性を確認しながら再起動に向かうにしても、火力発電所は現在の産業を支える必要な電源ですし、現在関西電力管内では1パーセントの新エネルギーによる電力も増やす必要があることなど、最新の電力需要に関して学べました。
外海に建設されたこの発電所の技術の高さ、そして挑戦する心意気を感じることができました。この発電所があり関西空港につながったことなど、巨大技術は一足飛びに完成するものではありません。巨大技術は技術の継承を怠ると衰退します。日本は知恵と技術が世界一です。この得意分野を伸ばすことが世界で生きていくために必要なことです。経済には比較優位の原理があります。いくつもの得意分野を持っているとして、その中でも最も得意な分野に力を注ぎ国内需要を賄うと共に輸出を行い、それ以下の分野のことは外国から輸入する方が経済の規模を拡大するという考え方です。日本の巨大技術は世界一ですからこの技術を輸出することも経済的には必要だと考えます。
火力発電設備とオペレート、新エネルギー、そして原子力技術など、日本が世界で貢献できる巨大技術が存在しています。技術は途絶えさせると復活することは困難です。何がわが国の得意分野なのかを知り、優位性のあるものに力を入れたいものです。
午後からは稲むらの火の館を訪問しました。言うまでもなく濱口梧陵氏の功績を世に残し、津波の怖さを知った上で防衛策を考えてもらうことを目的とした記念館です。併設する津波防災教育センターという名称が、そのことを物語っています。
この記念館は濱口梧陵氏の家が記念館の建物として活用されています。その真横に津波防災教育センターがあります。内部でつながっているため一体となった建物に見えます。
記念館に入る前に広村堤防を視察しました。広村堤防は、安政元年の津波に備えた濱口梧陵氏が私財を投じて建設した堤防です。高さは場所によって違いますが5メートルまたは6メールで、延長は600メートルもあります。安政2年に着工し、安政5年に完成させています。特筆すべきことは安政の津波の後、三ヵ月後に工事に着工しているスピードです。津波は何時襲ってくるか分かりません。そのため迅速な対策が必要であることを教えてくれています。
工事費は当時のお金で1,572両、延べ人員は59,736人の村人を雇用していました。3年の工事期間がありますが、それは次の理由からです。津波被害で仕事をなくした村人のために仕事を作り賃金を支払うことが経済対策として必要なことを知っていたのです。しかも頼り切っているだけでは経済的に自立できないので、農繁期は農業を行い、閑散期に入る頃に堤防建設の仕事をしてもらうようにしていました。経済対策として、堤防だけではなく失われた家屋50軒も建設しています。
私財を活用した工事ですが、この時期既に公共的工事が地域経済を救うことを知っていたのです。公共的な仕事を地域内の人に担ってもらうことで経済は循環します。このようにして津波対策と経済対策を実践したのです。この後にこの地を襲った昭和の大津波はこの広村の堤防によって防ぐことができたのです。100年後のこの地のことを考えて大工事を実施していたのです。
つまり稲むらに火を燃やして村人を津波から守ったことは濱口梧陵氏の活動の序章であり、この後広村の堤防、家屋建設などの大事業に取り掛かることになるのです。地元の防災対策と地域振興を達成しただけではなくて、その後大きな仕事を行っています。東京大学医学部が火事で焼け落ちたことがあったそうです。その復興のために700両という資金を提供しているのです。医学を守るためにここでも私財を投じて、東大医学部を守ったのです。もしこの投資がなければ、同大学医学部の発展は相当遅れていたと思います。自分の地域を守るだけではなくて、わが国の医学を守ってくれた恩人なのです。その後政治の世界に入り、和歌山県議会初代議長に就任していることは知っている人も多いかと思います。晩年は米国に渡り、そこで生涯を終えています。米国で学んだことをわが国に持ち帰りたいという、社会に貢献する気持ちを持ち続けた生涯だったようです。
和歌山県が誇る偉人だといえます。稲むらの火の物語は、昭和12年から昭和22年まで小学校の国語の教科書に載っていましたが、その後削除されています。永い空白期間を経て、現在は小学校5年生の国語の教科書に掲載されています。光村図書の国語の教科書ですが、11ページも掲載されているので、学ぶ期間も長くなっています。国語ですから自宅で復習をする時に父親や母親が聞いている場面が想像できます。家族で津波の怖さを知り、そして防衛策を話し合うきっかけにもなります。
この夏休みの来館者は例年の3倍あり、今日も3組の団体の視察が入っていました。家族で、そして団体で津波対策について学ぶ機会を提供してくれる稲むらの火の館です。
東日本大震災、そして台風12号被害によって災害対策の重要性が見直されています。そんな意識の高まりが視察する人を増やしているようです。
和歌山ゴールドライオンズクラブ理事会に出席しました。会議は2時間30分に及びました。議題も課題も多くあり社会貢献活動に最大限取り組んでいます。台風12号被害への義捐金についても協議して対応することにしています。