活動報告・レポート
2011年8月14日(日)
片男波
就職事情

北陸三県の新卒者の就職率が高いと聞きました。その理由は推測ですが、地場産業の後継者として残る人が多いことや、関西圏でも中部圏でもないことから、近郊に大都市が無く大阪や名古屋に行くことを好まない地元志向の学生が多いことなどが考えられます。和歌山市の場合、大阪は通勤圏内ですし、準地元意識があり、それほど抵抗感無く県外に出ることができます。そして北陸三県が企業誘致に成功していることもあるでしょうが、県内で勉強から就職、そして安定した生活までを完結できる環境が整っているような気がします。

参考になるのが四国の学生です。四国の場合、地元大学に進学する生徒は、ほぼ地元で就職することを念頭に描いているそうです。愛媛大学や徳島大学を卒業したら地元の企業に就職しての生計を描いているため、地元での就職率が高くなっているようです。学生を雇用しきれるだけの企業や地場産業が存在していることが、地元の就職率を高めている要因です。

和歌山県も地場産業を元気に、そして企業誘致を行うことが大切ですが、言うのは簡単で実行することは難しい課題です。大都市の横浜市でも企業進出が図れていないことを聞きました。円高とエネルギーコスト高も原因で、外国に移転することを考えている企業もあるようです。中国や韓国では税制面での優遇があると聞きます。それらの特典を利用するため、企業にとって高コストの国内でいるより製造基盤をこれらの国に移転させる方が利益は見込めるのです。

高コスト社会になっているわが国が競争力を失わないために、円高への対応とエネルギーコストの安定化を図ること。これは企業内での取り組みが図れない政府の役割です。次の内閣に期待しています。

片男波

和歌浦の海が磯焼けしていると関係者から聞きました。藻場が少なくなっていることから魚の生息地が狭まっています。そのため漁礁を造り藻場を復活させようとする取り組みが行われています。藻は魚を生息させるたに必要なだけではなく、最近は二酸化炭素を吸収することからバイオ燃料としても注目を集めています。和歌浦での取り組みが成功して欲しいと注目されています。

また景勝地としての和歌の浦について話がありました。奈良時代、天皇や海を見たことのない都人が和歌の浦を訪れた時の感激や驚きは想像を超えるものがあります。当時の感動について、片男波の干潟に潮が満ちてくる様子は、大掛かりな映画のようなスペクタクルなもので、ショーを鑑賞するように片男波の海を見ていたのではないかという推理があります。人は日常の生活では体験できない娯楽、そしてエンターテイメントを求めています。奈良盆地に生活していた都人にとって、和歌の浦の海は日常生活を超えたものだったと思うことは不思議ではありません。

今だったら、和歌山県に住む人がグランドキャニオンやカッパドキアの風景を見ると、この世の風景ではないと感動するのと同じ感覚です。こんな自然が存在しているのかと想像を超えたものに人は感動し、いつまでも記憶に残るのです。そして再び、その地を訪れたいと思いますし、その感動を聞いた人はその場所に行ってみたいと思うのは当然のことです。片男波の海は、そんな感動を与える海だったと思います。私達にとって見慣れた光景が、古の都人にとって感動のショーのステージだったと思うと、それだけで感動的です。

時代を超えて、今の片男波の光景を大切に保存し、次の時代に伝えたいものです。但し、感動のストーリーを添えて一緒に伝えないと、感動のない話は途中で途絶えてしまいます。

そして現代の感動のストーリーを作るのは私達です。私達は和歌の浦に対してかつての文化と歴史を保全することだけを目的にしていますが、潮の満ちることに感動したり、片男波をスペクタクルショーとして捉えたことのない人が、かつての感動を伝えることはできないのです。それなら平成の時代、国の名勝指定を受けた経緯や、景勝地としての重み付けをしている現代に暮らす私達が、和歌の浦、そして片男波を舞台とした平成の感動物語を創る必要があります。

自分達の時代に感動した物語は、自分の言葉で次の時代に語り、伝えることが可能です。自分達が感動するストーリーを存在させる。そんな取り組みの必要性を感じました。