活動報告・レポート
2011年8月3日(水)
児童施設訪問
NPO打ち合わせ

青少年に関わるNPO法人役員との打合せを行いました。理事会開催の日程調整と、和歌山市内に移り住んでいる被災者の方の支援について協議を行いました。この被災者の家族ですが、奥さんが妊娠8ヶ月、和歌山市で出産する予定です。しかし知人がいないこと、仕事を無くしていること、財産も失っていること、そして奥さんが中国の方なので言葉が通じないので、知らない土地での初めての出産に不安がっていることなどの事情から支援を必要としているのです。

行政機関は個別事情の詳細把握まではできないと思いますから、民間で支援できることはないかどうかを検討しています。出産までの期間の不安を和らげ和歌山市を好きになってもらうため、和歌浦でバーベキューを催すことにしました。

ご主人さんが和歌山市を気に入り、ここで暮らすことを決意して市内で仕事を探しています。現在は県営住宅で暮らしているのですが、来年は民間の住宅を借りる予定になっています。東北から新しい生活の拠点を和歌山市に移す決意をしてくれました。土地に慣れるまでこのNPO法人で可能なことは支援することを話し合いました。

エネルギー問題

Yさんとエネルギー問題について懇談しました。原子力政策、新エネルギー導入に関してが主な話題となりました。直ちに原子力を止めることはわが国の経済を更に低迷させることになります。只でさえ、77円台に突入している円高の影響で輸出産業は打撃を受けている中、アメリカやヨーロッパ通貨の不安から円が買われている状況が続いています。益々円高に振れると思いますから、経営環境はもっと厳しくなります。その上、エネルギーコストが高くなると経営が圧迫されますから、国内外の事情から国外への移転も真実味を帯びてきます。

円高下の電気料金の不安定化は経済を混乱させます。経済力がこの国を支えています。その根本的なことを放置しておいて国力を保つ議論はでません。一体、何をしているのでしょうか。国政への不信感を話してくれました。そのことが地方の政治への不信感を招きます。

コンビニ経営

コンビニエンスストアも経営者によって業績が変わると聞きました。お客さんの立場からすると、繁盛店とそうでない店との明確な違いは分かりません。しかしコンビニ経営者から見ると、流行るお店とそうでないお店は一目瞭然だそうです。企業秘密なので詳細は分かりませんが、察するところ経営者のやる気にあります。やる気のある経営者のお店は従業員教育がしっかりしていて、辞める率が低くなっています。その結果、店内の掃除が行き届いていることや、陳列棚が整理整頓されているなどの違いが生じます。勿論、突然の休みがなくなり、勤務ローテーションも組み易くなります。

やる気が流行る何かを生み出しているのです。誰がやっても同じ結果が出るようなことは一般社会ではあり得ないのです。誰が経営するか、誰が関わるかによって結果は違ってくるものです。

明日、新しいコンビニ店舗が誕生します。勿論、やる気のある経営者のお店ですから明日が楽しみです。

児童施設訪問

10月に吉本新喜劇ツアーに参加を呼び掛けた児童施設を訪問しました。参加を呼び掛けたところとても喜んでくれて、あっという間にバス定員の40人が埋まりました。高校生から小学生まで共同生活をしている40人が参加してくれるツアーとなりました。和歌山県を離れて観劇に行きますが、吉本新喜劇を見たことのない子ども達は、今からとても楽しみにしてくれています。

皆さんが楽しんでくれる企画になったことで、こちらも満足感を感じています。喜ぶ顔が溢れる和歌山県になるように、小さなこと積み重ねています。

その他
  • 社会貢献活動の一環として植樹活動について県と協議を行いました。地球環境問題への対応として県内に相当数の植林を予定しています。県有地、市有地を含めて、どこに植林をしたら和歌山県が環境先進県と思ってくれるかを考えながら協議を進めています。
  • 新エネルギーに関しての和歌山県の考え方を話し合いました。これから本格的に始まる取り組みであり、県としての意思を確認しておかないと参加企業が決定していく過程で問題が生じるからです。和歌山県は自然エネルギーに適している県ですが、独占できるものではありませんから、和歌山県の姿勢次第では立地が決まらなくなります。他府県で参加意思のある民間企業が新エネルギーの取り組みを行っているのに、和歌山県では進まないという事態も考えられます。この分野でも遅れるようなら、和歌山県の新産業分野での成長はありません。遅れを取らないように早い段階での意思決定が必要です
  • 夕方からは懇談会に参加しました。少人数でしたから懇親が深まりました。15年ぶりに和歌山県に来てくれた方からは「変わっていないですね」と意見がありました。喜ぶべきか悲しむべきか、判断の難しい意見でした。