活動報告・レポート
2011年8月2日(火)
わくわく広場

今年も巡ってきました。「わくわく広場」の季節です。夏の一日、毎年夏の「わくわく広場」イベントを開催していますが、今年の「わくわく広場」はいつもと違う催しとなりました。毎年、会場としている福崎空中広場は節電のため空調設備が使えなくなりました。そこで六甲山の植物公園に場所を移して、子ども達を招待しての開催となりました。

今回で11回目の夏となります。毎年招待して、参加してくれている子ども達の顔ぶれも変わりましたが、子ども達は毎年変わらずに楽しみに参加してくれています。六甲山に初めて来る子ども達が大半で、いつもの夏以上に興味シンシンで目が輝いていました。

わくわく広場

私の班はラベンダー班。4人の子ども達が仲間となり、一緒に工作を作り、クイズを解いて森を周るオリエンテーション、夏の雪の中での宝探し、バーベキューなどを楽しみました。小学生の女の子ばかりのラベンダーチームは、とても素直で優しい子ども達ばかりでした。

その内小学校1年生の子ども二人は、私のことを学校の先生と思っている様子で、呼び名は「先生」、そして何か関心があることに遭遇すると「先生、先生」と呼んでくれました。とても可愛い子ども達でした。午前10時に会って、午後3時に分かれるまでの時間は5時間でしたが、忘れられない夏となりました。最初から懐いてくれて、手をつないで会場の植物公園などを巡りました。時には坂道を駆け下り、時には駆け上りと、子ども達の行動は予想できないのでそれが新鮮でした。

興味のあることに出会うと走り出し、嫌いな虫が道端にいると突然止まって隠れようとします。松ぼっくりを見つけるとそれを拾って、松ぼっくりの歌を歌います。とても自然で素直なのです。

誰にでもあった子ども時代、そんな日々があったことを思い出させてくれます。あの頃はこの夏は終わらない夏だと思っていました。永遠に続く夏休み、毎年同じように巡ってくれると信じていた夏休み。それが永遠に続くものではなかったことに気づき、そして夏休みが遠い昔になってしまう時が訪れます。もう子ども時代ではなくなった時です。夏休みがなくなった大人は、童謡も歌う機会を失いますし、無邪気に走ったり歌ったりすることはなくなります。あの夏は消え去ったことに気づかされます。

何の心配もなかった時代は幸せな時代で、やがて自然の中にいても仕事のことや雑念に支配されるようになります。その時、その瞬間を楽しむことが生きていることだと気づかされました。

しかし毎年参加してくれる子ども達には過去があります。小学校4年の女の子はバーベキューを食べている時にこんな話をしてくれました。

「私がおかあさんのお腹にいる時は外国だったんだよ」。空想の話と思った私は、「へーぇ、そうなの。外国で生まれたんだから凄いね」と答えると、「私のおとうさんは日本人ではないの。おかあさんは日本人。そして生まれた時には離婚していたから、私はおとうさんの顔を知らないの。おかあさんは別の男の人と結婚して、私は1人になってしまったの」。

そうだったのです。児童施設で暮らしている子ども達は大人からの愛情を受けていないのです。私は一所懸命にバーベキューを焼きました。普段はたくさんのお肉を食べていないし、たくさんの野菜も食べていません。そしてスイカも滅多に食べていません。今日は食べきれないほど食べてくれました。本当にたくさん食べてくれました。私のテーブルには大人4人分の食材がありましたが、子ども達と3人でほとんど食べてしまいました。何とも言えない位においしいバーベキューでした。

「冷たい」。そんな時、女の子のカバンから水が漏れました。中から出したのは水筒でした。傷がいっぱいでキャラクターの印刷が薄れてしまった水筒でした。水の出口のゴムが傷んでいるので、水筒が横になるとそこから水がこぼれるのです。

胸が痛みました。

私はモノを大切にしているのだろうか。何でも手に入ることが幸せなことなのだろうか。この子どもが大人になった時に幸せでいられるのだろうか。心が悲しみました。

後ろの席では大学生の男女4人が夏休みでバーベキューに来ていました。楽しそうに騒いでいる姿を見ている小学生の女の子を眺めていると、「20歳になる時には幸せになっていてね」と心でつぶやきました。

初めて見る自然の景色、乗り物に興味が溢れていました。「ボートに乗りたい」、「グラススキーをやりたい」、「自動車(ゴーカート)に乗りたい」など、リクエストがいっぱいでしたが、集団行動のため願いを適えてあげられませんでした。少し心が痛みました。

でも「わくわく広場」の企画は、既存の乗り物や施設にはない楽しいふれあいがありました。夕方6時から和歌山市内で会合を予定していたため、午後3時に子ども達は別れ、先に下山しましたが、もう悲しい別れでした。

小学校1年生の女の子は「もう帰るの」、「うん今日は他の用事があるんだ」。

「いつもこんなに早く帰っているの」、「毎年、最後までいるのだけれど、今年は早く帰るね」。

「来年は来てくれるの」、「来年の必ず来るから待っていてね」。

こんな会話を繰り返すと、もう別れが悲しくて、悲しくて辛くなります。

小学校4年生の女の子は、「これっ」と言ってスイカを持って来てくれました。瞳は「帰らないで」と訴えていました。「先生、帰るのぉ」の声に引き戻されそうになりました。

夏のたった一日のふれあいでした。とても素晴らしい経験だったと気持ちを共有してもらえるでしょうか。忘れられない夏。毎年、そんな素晴らしい夏の一日を持てている私は幸せです。

来年も子ども達と会います。一年大きくなって成長している子ども達です。来年も笑顔で会えると思います。しかしそれも永遠ではありません。子どもが大人になる過程で、「わくわく広場」に参加しなくなると思います。それも出会いと別れです。卒業する子ども達に代わって、また新しい子ども達が参加してくれます。本当は両親と幸せに暮らせることが望みですが、悲しい思いの子ども達がいる限り、「わくわく広場」は続きます。

来年の12回目も、その次の13回目も。今から楽しみにしています。帰り車中は、幸せ空間になったのは言うまでもありません。

ラベンダー班の子ども達にとっても忘れられない夏になってくれたのだろうか。楽しそうな目と悲しそうな目がありましたが、明日は楽しい目をしているのだろうか。そんなことを思う夜となりました。

午後6時からの会合に参加して、今日の日を終えました。