お世話になっているTさんと懇談の機会をいただきました。連休中でしたが時間を割いて選挙結果のことや報告会について意見をもらいました。心のある意見に対して本当に感謝しています。嬉しいことは共有しあえる関係、苦しいことも共有しあえる関係を保ちたいと思います。Tさんは、「今回は本気で頑張ったので、そのことを知ってもらいたい」と話してくれました。今日の懇談の機会は天が与えてくれたものです。直接話し合うことで理解が深まるからです。本音を語り合えることは年齢や地域を越えて素晴らしい関係であり、これからも長くお付き合いをさせてもらいたいと思っています。
Hさんは「良かった、良かった。また無農薬野菜を収穫したら連絡するので遊びに来て下さい」と話してくれました。Hさんの作る無農薬の丸々太った野菜はおいしくて、心のこもった野菜です。「健康でこれからも頑張ってもらいたいので、ぜひ食べに来て下さい」とお誘いをいただきました。いつも感謝しています。
ある人が事業を始めました。ところが賛同者が現れません。理由は簡単で、事業を立ち上げたものの本気になっていないからです。事業の説明に来てくれても事業内容の説明が無く、「何とかして」の一言だけだからです。多くの方から、そのことについて問い合わせが来ています。「本人にやる気が無いので協力し兼ねる」という話です。
本人が本気にならないと周囲は動きません。事業開始までの時間が迫ってきました。上手くスタートを切れるのかどうか分かりませんが、今から本気になって上手くスタートさせて欲しいものです。本気になっていない理由は、自分のお金ではなくて他人の資金を借用してスタートさせているからです。事業資金を他人からの出資に頼っているようでは、その事業は失敗します。資金繰りを初め、本気になることが事業をスタートさせるに当たって大切なことです。
子ども大きくなって社会に出て、ある程度社会的責任を持つ年齢になると、父親と話し合う機会が少なくなります。父親が定年を迎えてからの年月が長くなり、子どもが社会に出てからの年月が長くなると、社会での立場は逆転することになります。つまり会社や地域社会で顔が利くのは大きくなった子どもであり、同僚や知人の全てが定年を迎えてしまった父親の社会的に役割はなくなるからです。
人生の先輩としての父親は超えることの出来ない存在ですが、社会で果たす役割、つまり仕事や社会的影響力は子どもの方が大きくなります。小さい頃は、父親に相談して進路を決めていたことが遠い昔の出来事になっています。社会人として父親に相談していた時期も遠くなりました。今では社会における出来事や仕事への対処方法らについて、父親に相談することがなくなりました。父親の存在が子どもの中から消えようとしていることは寂しいことです。子どもの社会での地位が確立されると、父親に頼ることがなくなるのです。
父親と仕事の話をすることはなくなり、顔を合わせても世間話に終始することになります。 小さい頃はあれ程、怖かった父親が、あれ程何でも知っていた父親なのに、今では自分の知識や経験が、父親の経験を上回っているのです。それと共に父親の怖さがなくなり、また頼ることもなくなっていくのです。
仕事の場ではなくて、家庭内が居場所となった父親は悲しいほどに優しくなります。社会で活動する機会が失われると、強さは必要なくなるからです。父親は守るものがあると強い存在ですが、年を取って年金や福祉制度によって社会が面倒を見てくれる頃になると、従来の強さは求められなくなるのです。そして子どもは、社会で生きて行くための強さを身に付けていきます。
父親と交わす言葉は何気ないものになっていきます。「また遊びにおいで」、「仕事で無理をしないように」、「何でも手伝うので言って来てよ」などの言葉です。子どもからは、「年なんだから無理をしないように」、「健康に気をつけていつまでも元気でいて下さいね」などの言葉が返されます。以前のような男同士の仕事の話には程遠くなっていますが、年月を経て親子の会話としては悪くありません。
父親が年齢を重ね、成長した子どもにとっては一緒にいられる残りの時間が気になって来る頃、穏やかな部屋で他愛も無い会話を交わせる瞬間、かつてのような現役時代の父親と父親の子どもだった子どもに戻れます。
80歳になった父親に、健康でこれからも長生きしてくれることを祈っています。父親でいることの大変さと責任を感じています。