活動報告・レポート
2011年5月3日(火)
同窓会

小学校、中学校の同級生が集まってのバーベキュー大会に参加しました。午前10時から午後5時までの長時間のバーベキュー大会となりましたが、緊張感から開放されリラックスできる時間となりました。同級生の皆さんに深く感謝しています。

約30人の同窓会は紀ノ川の河川敷で行いました。車に乗り合わせて会場への移動でしたが、車中から盛り上がりました。皆さんから祝福の言葉をいただき感謝しています。今回も多くの支援をしてくれました。

T君は「選挙に行ったのは20年振りのことです。家族全員と兄夫婦も投票に行きました。そして選挙の開票のテレビを見たのは生まれて初めてでした。当選の瞬間は家族全員でガッツポーズをしました。こんなに嬉しいことはありません。選挙で家族が盛り上がるとは思ってもいないことでした。片桐君にはお礼を言いたいと思います。私達の代表として和歌山県を良くしてくれることを嬉しく思っています」。とても嬉しい言葉でした。T君の仕事は朝が早いのです。朝5時には自宅を出るのですが、そんな翌朝のことを忘れてテレビの前で応援してくれていたのです。期待を背負っていることを認識して活動することを改めて感じました。

またM君は「同級生が県議会で活躍してくれていることは励みになります。みんな頑張れる力を与えてもらっています。もっと次を狙って欲しいと思っています。みんなで応援するので頑張って下さい」と励ましてもらいました。次への期待を感じてくれていることが強みです。可能性を閉じた瞬間に全ては終わってしまいます。

Nさんは「家族全員で応援していました。テレビも見ていましたよ。厳しい活動をしていることは凄いですね。励みになります。身体が大変だと思いますが、健康でいつまでも活動して下さいね」と意見をいただきました。

Yさん「仕事を探しているのですが、私達の年代になると働く場所を見つけることは難しいですね。ハローワークで仕事を見つけて応募しても、書類選考で落とされてしまうので面接まで辿り着きません。49歳の仕事探しは難しいですね。子どもの年代は大丈夫なのでしょうか。和歌山県に仕事がないことが問題だと思います。働ける環境を整備して欲しいと思います」と厳しい現実を話してくれました。それぞれに働かなければならない理由があります。家庭の事情によって働くことの意味が違います。個別に対応することが必要ですが、このような声は届いていないのが現状です。たまたま家庭事情を直接聞けたのでそれに対応する行動移せますが、ハローワークで職探しをしている状況であれば、個別事情まで把握できないので仕事に辿り着くのは大変です。仕事探しは求人している人と仕事を探している人の価値観を一致させることも大切です。個別事情を察して社会全体で守らなければならない人に対しては支援を行いたいところです。仕事探しに対して怠慢、または人任せや仕事探しを第三者に責任を負わせるような態度の人と、そうでない人の違いを把握して対応したいと考えています。

さて河川敷でのバーベキュー大会では、懐かしのドッヂボール大会を行いました。各テーブルに分かれて班対抗のドッヂボールを行いました。体が動かなくなっていることを痛感しながらも、みんなで楽しみました。またバレーボールもしましたが、ここでも体の動きがスローになっていることを実感しました。自分では若い、変わっていないと思っていますが、以前のように身体は動かなくなっています。それでも身体を動かせる楽しい時間を過ごすことができました。

平成23年度で私達同級生は50歳を迎えることになります。想像もしていなかった年齢に突入することになります。充実している年代でもあり、限られた時間を感じる年齢でもあります。社会で活動するための限られた時間が与えられています。限りがあるから今の時間に全力を尽くさなければならないことを感じています。楽しい会話の中に、今を楽しむことの素晴らしさが伝わってきます。今を楽しむとは、快適性や快楽を追い求めることではなくて、社会における自己実現を達成すること、またはその過程にあります。それぞれの道は違っていますが、それぞれの道の中で自己実現を求め、その難しさに直面しています。まだまだ上の世代が君臨していることから最前線に立てていないことを痛感しています。それでも早く第一線に飛び出して、自分達で時代を築く力を発揮したいのです。明治維新前夜に似ているのが平成23年だと話してくれた同級生がいます。維新前夜の思いが実現するのはそう遠くないのです。その中心に立つのは、維新前夜の場所に立っていることに気付いている人なのです。

河川敷で同級生の子どもに野球を教えているH君の姿がありました。H君は元甲子園球児です。中学校時代から野球センスが良くて高校一年で甲子園に出場しました。その甲子園球児が子どもに野球を教える姿に感動しました。自分の経験したことを子どもに伝えている。それが素晴らしいと感じたからです。伝えるものを持っている人が、それを伝える姿は素晴らしいのです。伝える何かを持っていること、それを相手に差し出すことが社会において大切なことなのです。