活動報告・レポート
2011年1月3日(月)
新年会
新年会

早いものでお正月も終わりの時を迎えました。1月3日は明日らの仕事初めに備えてゆったりしたいところですが、新年会に参加しました。

恒例のO先生の新年会に参加しました。2011年が歴史上の岐路に立っていることを教えてもらいました。歴史の転換点にあることを意識して活動することは意味のあることです。大きな流れの中において、自分の立っている場所がどこにあるのか知ることで自らの役割を果たすことができるのです。自分の役割を知らなければ、流れに沿って漂うだけです。

さて政治に関して教えをいただきました。政事を行うことは聴くことにあるのです。現在政治は聴くことを疎かにしているので、国政も県政も停滞しているのです。全ての解は聴くことの中にあります。

皆さんの意見を聴くことで、それを政治に反映させることが重要なことなのです。聴くことを忘れた政治に対して不満が充満してきています。

但し聴いてもそこに迎合する必要はありません。信を腹心に向けることが大切なのです。信とは自分の信じることを相手に問題提起することにあります。信を相手に質した後は、結果を気にしないで、相手の判断に委ねることが大切なのです。信を受け取った相手は、その人の価値観で善悪を判断します。腹心とはその人の判断のことで、意見をしたことに対して、それを気にする必要はないのです。有権者が正義であれば、正しい意見を述べる人の考え方に呼応してくれるのです。

信を腹心に向けて発信した後は、相手の判断に任せることが肝要です。このまちにことを考えている有権者の皆さんが正しい判断をしてくれると信じています。

さて2011年は、新年会の中の話し合いにおいて歴史的な転換期にあることが分かりました。明治維新以降の歴史で語られている事実の真意について、定説が覆る動きがあると聞きました。歴史はすべて事実に基づいているものと教育されていますが、歴年は時の権力者が事実を語って記すものです。そのため真実なのか事実なのかは、後の時代になると分からないのです。

50年後、2010年または2011年を指して、どのような評価がされているのかは、私達は知ることはありません。しかし歴史の一ページにおいて、2010年という時代は、何らかの評価を受けて語られているのです。歴史の登場人物にはなれないと思いますが、名を残さない一員として私達は歴史の中を生きているのです。名前を残さないのであれば、せめて正しい歴史を私達が築きたいものです。私達の世代が正しい選択をすることが、この後の歴史を築くことになるのです。今、誤った選択をすればこの国の未来はありません。

私達が歴史のページを刻んでいることを認識していたら、わが国の歴史は素晴らしいものになります。私達が生きている時代だけでも誇れる歴史を刻みたいものです。例え後世の歴史家に史実が塗り替えられるとしても、決して曲げられない真実は今ここに存在しているのです。

新年会を催してくれたOさん、そしてYさんに感謝しています。歴史は、私達が今刻んでいます。歴史に登場すべきでなかった人は退場を余儀なくされる時代なのです。  このようにしてお正月を終えることになりました。2011年は今、スタートを切りました。

ライブ

平成22年12月に開催されたライブに関しての意見をいただきました。応援しているシンガーの年末ライブの応援に駆けつけました。その時は別の仕事に携わっていたため、ライブ開始から15分遅れで市民会館に入ったのです。遅れて入ったところ、その人は「ライブ会場が急に明るい雰囲気になりました」と話してくれました。会場の皆さんが感じてくれたかどうかは分かりませんが、そんな意見を聞かせてもらえただけでも嬉しいことです。

会場に入ったことによってそんな雰囲気があったとしたら、ライブ会場に行った甲斐があったというものです。