活動報告・レポート
2011年1月2日(日)
束の間の帰省
新年挨拶

新年あけましておめでとうございます。皆さま方には昨年一年間大変お世話になりました。心から感謝申し上げます。引き続きまして平成23年もご指導賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。

さて和歌山県を今よりももっと元気にしたいと思い、経済対策や雇用問題への対応として企業誘致や、新エネルギーや環境分野での需要創造と雇用拡大を訴え行動を継続しています。宇宙を通じて和歌山県の教育とまちを元気にするために、「はやぶさ」の展示活動に成功し、新春の1月に和歌山市にやってきます。夢と希望を形にしたら「はやぶさ」のようになると思いますので、新年に元気をもらいたいものです。

2011年は「基礎をつくる」ことを目標に掲げて行動したいと考えています。

本年も引き続いて、議会活動と地域活動を通じて元気な和歌山県を目指しています。ありがとうございました。

束の間の帰省

久しぶりに実家に戻りました。十分な時間をとれない日が続いているため、両親の元に帰るのは久ぶりのことでした。心身ともゆったりと出来ました。弟も帰省していて、こちらも久しぶりの顔合わせでした。年末から帰省していた関係から、午後大阪に戻りましたから、次に会うのは何時になるか分かりません。と言うのも、弟の会社の全国各地にある研究室が統合することになり、平成23年8月に福山市に事業本部が移転することになっているからです。約600人の研究者が福山市に移転することになります。大規模な人事で、それに伴い単身赴任で行くことになります。和歌山市に帰る機会は少なくなりそうなのです。忙しくなることが予想されますが健康に気をつけて頑張って欲しいと思っています。

さて日頃から負担を掛けている両親ですが、年齢から来ているのでしょうか。少し小さくなっているように感じます。父親は今年80歳、母親は76歳を迎えることとも関係しているのかも知れません。何時までも苦労を掛けていることは心苦しく思っています。走り回ってくれていることに感謝しながら、くれぐれも健康と安全には気をつけて欲しいと心から願っています。

食事は鰤の照り焼きと焼肉を用意してくれていました。小さい頃から味わっている懐かしい味です。子どもの頃は鰤の照り焼きは大好物で、本当においしいと思っていました。おいしくて皮まで食べていた程です。焼肉は当時、滅多にありませんでしたからご馳走でした。今もこれらの料理を用意してくれているのは、お正月に帰ってくることを楽しみにしてくれ、そしてご馳走で迎えようとする気持ちが伝わってきます。

今日も当時と全然変わらない一番おいしい味でした。大人になってから、どれだけの料理を食べてきたことでしょうか。今ではおいしいレストランや料理店がたくさんありますが、でも小さい頃に食べた料理がおいしいことに変わりはありません。尤も美食家ではありませんから料理の味は分からないこともありますが・・。

苦労をして育ててくれたのですが、思い返すと食事で苦労をしなかったのは、両親が子どものために働いたお金を、自分達のために使わないで蓄えてくれていたからだと今だと分かります。

母親は中学三年生の1月に母親を亡くしています。そのため、その年の3月に中学校を卒業して働き始めました。中学校一年生と小学校四年生の弟を養うためです。16歳から社会に出て働いて、働き抜いて今を生きています。昭和26年当時、両親がいないと仕事もなかった時代だったそうです。両親のいない16歳の母と中学生と小学生の弟が。毎日を生きていくだけでも想像もできない大変なことだったと思います。兄弟3人の生活費と学費を母が稼いでいたのです。当然、二人の弟も学校へ行くことなく社会に出ます。弟は当時高炉を建設し多くの人材を必要としていた住友金属に入社。一番下の弟は自動車修理工場で修行した後、大阪に出て開業、現在、大阪市内で二輪販売店を経営しています。

そう言えば、二人のおじさんには相当可愛がってもらった記憶があります。自分達を母親の変わりに育ててくれた姉に感謝する気持ちを、長男である私に向けてくれたと思います。

当時、中学一年生で現在74歳の母の弟は、「姉はずっと苦労をしてきた人生でした」と話してくれたように、楽をすることを知らない、働くばかりの生き方をしています。素晴らしいところは人にやさしく、そして親切にすることです。人に迷惑を掛けたらいけないと、自分が損をしても周囲の皆さんを立ててきました。母の周囲に素敵な友人が多いのは、そんな性格から来ていると思います。今でもその心は変わることなく、友人達とのゆったりとした生活を楽しんでいるようです。

昨年末の集会で母が友人を連れて参加してくれました。一人の母の友人が「息子さんに会うのは初めてですが、素晴らしいお母さんなので、そんなお母さんの息子さんだから間違いのない人物だと思って参加しました」と意見を述べてくれたことがありました。友人らそう言われている、そんな母を誇りに思っています。

そんな姿を見て育った私も良く似ていて、働くばかりの人生を過ごしています。この先どうなるか分かりませんが、働ける環境にある限り、幸せを創る仕事をさせていただきたいと思います。

母から嬉しい話を聞きました。現在入院しているOさんがこんなことを話してくれていたと聞かせてくれたのです。

「今思うと、章浩くんが和歌山市議会に出た8年前と県議会に出た4年前にお手伝いをしたあの頃が、人生で最も充実していたなぁと思っています。身体が動かないようになって、人のために動けることがいれだけ素敵なことであったことを痛感しています。今回は身体がこうなので動けないので、申し訳なく、そしてあの時が自分の人生にとって、人のために働けた素晴らしい時間であったと思っています」というものでした。

本当に感動させられました。人生が輝くのは年齢ではなくて、人のために役立っている時間なのです。自分のことではなくて、どれだけ人のために尽くせたか。それが人生の輝きであり、思い出になります。私の今の時間が充実していると思えるのは、例え少しでも、きっと誰かの役に立っていることがあるからです。困っていることの相談をやり遂げたことによるその方の喜びの演出を出来ることは、結果として自分の人生を彩ってくれているのです。

気がつくと長い時間が経過していました。偶には両親のために時間を使わなければならないと思いました。もったいない時間ではなくて、本当に貴重な時間でした。子どもの頃はあれだけ一緒の一日24時間を持ち、ずっと続くと思っていた時間ですが、いつしか、その時間が少なくなっていきました。両親が子どもために使ってくれた時間は永遠です。そんな大切な時間をお返しするのは、あの頃のように話し合う時間を持つことです。仕事に追われて両親との時間を削っていますが、それは自分のこれからの生き方を学べる貴重な時間を無くしているのと同じです。当たり前のようにずっと続くと思っていたけれど、今は無くしている時間が本当に大切なものだったのです。

お正月のたった一日、時間にしてたったの6時間強でしたが、オアシスのような時間でした。いつまでお正月のこの時間を共有できるのか分かりませんが、精神を緩められる時間をくれている両親に感謝しています。健康と安全を保ち、この安らぎの場所がいつまでもここで続きますように。