活動報告・レポート
2010年12月30日(木)
訪問活動
簡単なこと

年末の休みに入っています。まちは静かな賑わいを見せています。氣がホッとしたような、そして年末特有の寂しさが漂っています。人はそんなまちの氣に敏感に反応します。まちの空気が私たちの気持ちに影響を与えていますし、まちを形成している私の気持ちがまちの空気を作っています。気持ちの良く元気な人が多いまちは元気が溢れていますし、沈んだ気持ちの人がいるまちは沈んだまちになります。

今朝の訪問において氣の話になりました。氣はまちを支配していますし、家庭も支配しています。家庭の氣の中心は母親です。母親から出される氣が家庭を支配していますから、明るい家庭からは明るい気持ちの子どもと父親が、元気に学校や会社に向かうことになります。家庭の氣とは、朝の挨拶、朝食、家庭内の掃除、夕食お風呂など、いつもの行動かに氣がこめられているのです。父親や子ども達のために一所懸命に家事をしてくれる母親がいるから、仕事や勉強ができるのです。そんな氣が充満している家庭は明るい家庭になります。そんな氣が満ちている家庭は気持ちよい空気が溢れています。誰かのために尽くすことは氣を与えることなのです。

さて朝15分だけ早く起きて玄関の清掃をすると氣が良くなると聞きました。それは自分が玄関をきれいにしようと思う積極的な行動が氣を呼び寄せるからです。

ある人に「朝15分だけ早く起きて掃除をしたら運が拓けるから」と話をしたところ、「そんな簡単なこと誰でもできることでしょう」と、人を馬鹿にした冷ややかな反応がありました。

そこで「そう通りです。簡単に誰にでもできることですから、やって見て下さいね」と言ったところ、反応は無言でした。つまり出来ないと言うことです。

ここから大きなことが学べます。誰にでも出来る簡単なことであっても、自分で行動することは簡単ではないのです。誰にでも出来る簡単なことすら出来ない人は、誰もできないような仕事をやり遂げられる筈はないのです。大きな事業は誰にでも出来る簡単なことを継続して行い、その結果が積み重なって大きな仕事になっているのです。日々の努力を知らない人がその結果だけを見ると、突然に大きな仕事が完成しているように見えるのです。そこで言う台詞は決まっています。「運が良かっただけ」、または「誰にでも出来ること」だというその人を評価しない台詞です。

言葉を通り正当に評価すれば、運が良かったのは事実です。但し、運が良いのは日々の努力を継続してきた結果から来ているものです。そして誰にでも出来ることも事実です。誰にでも出来ることを毎日続けているだけだからです。

批判的な評価をする人は、運の良さと誰にでも出来ることの本当の姿を知らないのです。

では「やって見て下さいね」と言うと、誰ででも出来る筈のことができないのです。それができない人の下に運は寄ってきません。

自分ができないことを、「誰にでも出来ること」と切り捨ててはいけません。一日なら誰にでも出来ることでも二日、三日と続けることは誰にでも出来ることではなくなっているのです。玄関の掃除を一日するだけだったら、誰にでも出来るかも知れません。でも冬の寒い日や雨の日も、朝15分早起きして玄関の清掃をすることは中々難しいことです。それを継続していることは誰にでもできることではありませんし、それを365日も続けている人は誰も出来ないことをやり遂げているのです。

人は一日の単位でそのことを評価する傾向があります。玄関の清掃と聞いて、誰にでも出来ると答えるのは、一日だったら誰にでも出来るから続けることは簡単だと計算しているのです。でも「簡単だったらやって見て下さい」と指摘されると、その難しさに気付くのです。私達が行っている多くのことは簡単なことですが、継続することは誰にでも出来ない難しいことなのです。

ですから何かを継続している人のことを馬鹿にしたり、簡単なことをしているに過ぎないと見下すようなことはしたくないものです。簡単なことを続けることは簡単なことではないと知っている人や、簡単なことを続けることだけが結果を残せる唯一の方法であることを知っている人は、その発言だけで、付き合うに足りない人であることを見抜いてしまいます。何事も謙虚に継続している人が一番輝いているのです。その輝きを輝きと認めることで自分も光を受けることが出来ます。

訪問活動

引き続いて訪問活動を続けました。二人のIさんは政治に関心を示しています。それは若い人達が政治に関心を持つことが、このまちを再生させることにつながることを知っているからです。今まで無関心で居過ぎたことが、和歌山県を停滞させています。まちの空気は氣が支配します。氣のないまちは元気がないのは自然の摂理です。氣のある場所は明るく輝くのも自然の摂理です。和歌山県にも若い元気な氣があります。そんな氣を集合させることが大きな仕事です。伝わってくる熱いものがありました。

Hさんと会うのは今年二度目でした。普段中々会えないのですが、訪問を歓迎してくれました。家の中から奥さんも呼んでくれて、二人で歓迎してくれました。久しぶりだったのですが、「私達のところなど来なくても良いですよ」と謙遜してくれました。来ないと怒る人もいますし、来てくれなくても頑張っていることを信用して歓迎してくれる人もいます。久しぶりでも会えることに感謝したいものです。その方がお互いに気持ちが良くなります。

Kさん宅は年末の一日に訪問しています。そこで懐かしい顔に会うことが出来ました。 その昔広報の仕事をしていた時の同僚で、今は結婚退職をして滋賀県で生活しています。年末の帰省で実家に戻っていたのです。「頑張っていることは知っています。これからも大きくなって下さいね」と以前と同じ笑顔で迎えてくれました。今では考えられないことですが、あの頃は女性が結婚すると退職することが常識でした。もし今も会社に残っていたら、立派な管理職になっていると思います。ほんの少し前のことのようですが、時代は確実に変わっています。ですから現代の常識も、明日になれば常識ではなくなっているかも知れないのです。常識に縛られないようにすること。これが明日に生きる道です。

懇親会

夜は今年最後の懇親会でした。国政のこと、県政のこと、そして地球環境問題や、わが国のこれからについて話し合いました。大きな目標を持って出来ることから実践することが、そこに到達するために必要なことです。和歌山県外から駆けつけてくれた方と話をすると、目標を定めて実践していることが分かります。実践の伴わない目標は目標ではなく、実現しない夢を話しているだけです。実現する夢は目標と実践が伴っています。同じ夢でもまったく違うものなのです。