活動報告・レポート
2010年12月3日(金)
半島振興対策促進大会
着陸

半島振興対策促進大会に出席のため東京に向かいました。午前7時発の関西空港から羽田便に搭乗しました。関西空港出発の時は、天候は大丈夫だったのですが、飛行中、雲行きが怪しくなってきました。窓から外を見ると全く何も見えません。そして機体が上下に揺れ始めるなど不安定な状態に陥りました。

羽田上空に到達した時点でアナウンスが入りました。「ただ今、着陸しようとしたのですが気流が乱れたため着陸を見合わせて一度上昇しました。気流の状態を見て再度着陸態勢に入りますので、暫く羽田上空で旋回いたします」というものでした。

何も見えない飛行機の外
(何も見えない飛行機の外)

改めて外を見ると霧で何も見えません。そして機体が急降下する度に機内から声が上がります。不安な時間が経過し続けました。時間にして約25分間。上空を旋回した後、再び着陸態勢に入りました。息を呑むような緊張感の中、日本航空の機体は着陸に向かいました。霧の中から外を見ていると、突然空港が見え始め、無事着陸することが出来ました。

素晴らしい着陸を演出してくれた機長に感謝しています。

それにしても不安定な飛行が続くと、人間は不安感に支配されます。大丈夫だと思っているのですが、それでも一抹の不安を感じるものです。この飛行時間中、今までのことが思い出されました。それは他愛もないことばかりでしたが、幸せな時間を過ごしていたことを感じさせるのに十分なものでした。お風呂上りにコーヒー牛乳やフルーツ牛乳を飲んだ瞬間の気持ち良さや、試験勉強に机に向かっていた瞬間など、日常の時間が幸せであったことが分かるものでした。特殊な時間が素晴らしいものではなくて、毎日繰り返される時間が幸せな時間だったのです。何の不安も感じることなく毎日を過ごせる時間があることが幸せなのです。

大丈夫だと思いながらの不安定な時間は、人生の今までを回想させてくれる時間としては十分なものでした。限られた時間の中で何かを達成することが生きていることだと悟りました。

そして視界の悪い中、無事に羽田空港に着陸してくれた機長に感謝しています。乗客である私たちは不安感の中でも、何とかなるという安心感を持っていましたが、機長は緊張感を持って操縦していたと思います。人の生命を預かる仕事の大変さと、その責任の重さから来る仕事の充実感を感じました。無事に届けてくれたことに感謝しています。

半島振興対策促進大会

都道府県会館において半島振興対策促進大会が開催されました。半島振興対策促進議員連盟の県議会議員が出席しました。半島振興法は昭和60年に制定されたから、全国で23の地域が国の支援を受け半島地域の振興のために施策を講じています。半島振興法を呼びかけたのは当時の和歌山県知事であり、衆議院議員の玉置和郎議員でした。法制化以降、10年後との延長を行い、平成17年に法律を延長して現在に至っています。半島振興に掛けて私たちの先輩が築いてきたものを受け継いでいる訳ですから、私たちの代でこの法律を壊すことはできません。半島振興法を継続されて次の時代に申し送り、全国の半島が遅れた地域とは言わせないように活動することが私たちの使命です。

そんな気持ちを持って大会に臨みました。成果を確認できるのは先のことになりますが、今日のこの日に私たち関係する県議会議員が大会決議を行い、国に対して半島振興について申し入れることは意義のあることだと実感しています。

帰り

東京からの帰りについては新幹線を利用しました。関西空港行きの飛行機は全て欠航となりましたから、久しぶりの新幹線利用でした。新幹線から特急くろしおを乗り継いで和歌山市に戻りました。かなり長い時間を公共交通機関で過ごした一日となりました。

和歌山県に戻ってくるとホッとした感じがあります。生きることについて考えた今日の日を大切にしたいと考えています。

懇親会

和歌山市に戻ってから懇親会に参加しました。毎年、夏と冬の二回、参加させてもらっている会合です。ここでも挨拶の時間をいただきました。

皆さんのお陰で政治活動をさせてもらっていることに感謝しています。そして毎回、お招きいただいていることに重ねて感謝申し上げます。さて今日は東京に行っていました。目的は半島振興法を継続させるための決議を行うためです。この半島振興法とは、昭和60年に和歌山県が提唱して法制化されたものです。この法律のお陰で半島に位置する23の地域が国の支援を受けながら地域振興に取り組んでいます。当時の和歌山県知事と衆議院議員の玉置和郎議員の取り組みの恩恵を現在の私たちが受けているのです。提唱者である和歌山県がこの協議会の議長を務めているのは、このような理由があるからです。この先人達の素晴らしい取り組みを継続させ、必ずしも経済的にも良くない和歌山県が国の支援を受けていることで道路や観光振興などの行政を続けたいと考えています。

さて本日の半島振興対策促進大会に際して、飛行機に乗って上京しました。霧と雨の影響で視界が遮られている中、日本航空の機長は羽田空港への着陸に向かってくれました。約26分間も旋回するなどして時間は遅れましたが、その旋回している間の不安感は意外と少ないものでした。その理由は、機長がアナウンスを入れてくれたことで乗客に安心感を与えてくれたからです。視界が悪くて不安感を感じる状態でしたが、リーダーの実行力と言葉を信頼して不安感から来る群集心理がなかったものと感じています。これは政治にも言えることです。国政が混乱しているのはリーダーが方針を示さないからです。霧と雲に覆われた日本ですが、リーダーが道筋を示してくれていれば、先が見えない中でも不安感は感じない筈です。不安感を感じさせているのはリーダーの責任です。リーダーがこの先に何があるのかの指針を示さないので国民である私たちは不安感を感じているのです。飛行機は機長のリーダーシップで不安感は緩和されました。国政はリーダーがぶれているので未来への不安感が増しているのです。

リーダーとは先が見えない時でも方針を示し、私たちを導いてくれることにあります。和歌山県を引っ張って行く覚悟のある私たちですから、常にそんなリーダーでありたいものです。活動の背骨がぶれないようにしっかりとした方針を打ち出したいものです。本日はありがとうございました。

懇親会

和歌山市に誕生してから5年が経過しているエフエムバナナの懇親会に参加しました。約50人のパーソナリティと関係者が集まって楽しい時間を過ごしました。誕生した直後は3人でしたから、それと比較して随分成長してくれたと感慨が深いものがありました。

地域に民間のエフエム局が存在していることは、地域力を高めてくれています。和歌山市の文化を高め、そして情報を発信してくれているエフエムバナナを行政が支援すべきだと考えています。それができない行政がおかしいと考えています。エフエム放送が地域にあることの素晴らしさを感じてくれているのであれば、行政からの支援をして欲しいところです。こんなところにもまちの文化度が試されています。

パーソナリティの一人から「こんな素敵なエフエムを和歌山市に作っていただきありがとうございます。エフエムバナナができたので、私たちの思いを電波に乗せて届けることができています。本当に素晴らしいことです」と伝えてくれました。和歌山市に定着しているエフエムバナナは和歌山市になくては成らない存在になっています。個性豊な皆さんとの懇親会はエフエム局内にいるような楽しい雰囲気の中で進んでいきました。

そして最後には命の大切さを歌い上げた和歌山県発の歌の合唱で締めくくりました。パーソナリティの皆さんと、素晴らしい時間を共有できたことに感謝しています。

エフエムバナナの懇親会 エフエムバナナの懇親会
その後

エフエムバナナの懇親会終了後、続いての懇親会に向かいました。有意義な時間を過ごしながら、午前2時頃には無事に帰宅できました。皆さんに感謝しています。