活動報告・レポート
2010年11月3日(水)
秋の叙勲
秋の叙勲

秋の叙勲が発表されました。嬉しいことに、地元有家自治会の山本勲さんが旭日表彰を受賞したのです。功績は電気通信事業功労で、日本公衆電話会和歌山支部長を長年務められた結果でもあります。山本さん宅を訪ねて懇談したところ「運が良かっただけですよ。何もしていません」と謙虚な答えが返ってきました。この謙虚さが叙勲につながったと思います。

長年、公衆電話の普及に努めて来られましたが、通信関係者以外に、この地道な活動のことを知っている人は少ない筈です。そんな活動を昭和40年代から行ってきたのですから叙勲は当然の結果です。今でこそ公衆電話を利用する人は少なくなっていますが、今まで街中の公衆電話にどれだけの人が助けられたことでしょうか。電話の歴史の話を聞くと、時代の変遷を感じました。

昭和40年代の初めは、電話を持っている家庭は少なかったのです。当時の小学校の名簿には、電話がなくて連絡先の欄に隣の家の電話番号が掲載されていることは珍しくありませんでした。学校から連絡先である生徒にとっての隣の家に電話が入ると、その隣の人が生徒でのある私を呼び出しに来てくれるのです。その間、受話器は置かれたままで、何とも情緒ある光景が蘇えります。話を終えた後、10円硬貨を電話の前において行くのが通例でした。隣近所との付き合いが今よりもあった昭和40年代の日常の光景です。

山本さんは当時から商売をしていることから電話の設置が早かったため。近所の皆さんの連絡先になっていました。隣近所の方につないで欲しいと電話が入ると、仕事を休めてその人を呼び出しに走っていました。そんな話を伺うと、地域のステーション的役割を果たしていたことが分ります。商売のお店は、単にモノを売っているだけではなくて、地域のコミュニケーションの中心的役割を担っていたのです。地域が地域社会であった所以は、付き合いと情報が交差する地点があったことにあります。今では付き合いと情報が集まる拠点は少なくなり、そのことが地域社会を疲弊させているのです。

地域のお店から郊外の大型店に、地域の八百屋さんや魚屋さんから郊外の大型スーパーへ、そして電話は固定電話から携帯電話が主流へと変化して来ました。人の繋がりが希薄になるのは当然の帰結です。ここから再び濃い関係の地域社会を築くことは困難です。

40年以上の長きにわたって、日本公衆電話会和歌山支部長の重責を担ってきた功績は重みがあります。今の通信手段が携帯電話の時代を迎えるまでには、時代に応じたしっかりとした取り組みがあったのです。昭和の時代から平成の時代へと時は流れて、叙勲に至ったのです。この叙勲は運ではなくて地道な活動の積み重ねの賜物です。多くの人に知られていない地道な活動が叙勲につながったことは、時代を担ってきた人のことを見ている人は見ていることを示しています。国の人を評価する制度は素晴らしいものがあります。

今月、11月9日に山本さんご夫妻は上京し、叙勲の栄誉に浸ります。40年余の功績が認められる瞬間です。今日のこの日と、晴れやかな叙勲の日を迎えられますことを心からお祝い申し上げます。おめでとうございます。

先決問題

和歌山市になぜ大手企業が進出してくれないのか、そんな話をさせていただきました。一般的な見方として、道路網が整備されていないことから物流コストがかかることや、京阪神や首都圏に搬送するのに時間かかることが挙げられます。他にも工業用水の問題や土地価格が高いこと、広大な整地された用地が意外とないことも企業進出を阻む要因となっています。

それ以外に重大な要因として教育や医療の問題があります。企業にとって従業員は財産ですから、従業員の子どもへの教育は大切な要素ですし、健康を維持することと病気になった場合の病院が揃っていることも大切な要素です。これらのソフト面が整備されていることが受け皿となる地域の実力です。その実力が伴っていないのが和歌山市の弱さでもあります。

働く場所と経済が循環している地域が安心できる地域ですが、残念ながら和歌山市にはそれが備わっていません。数年でそれを達成できるというのは簡単ですが、現実的には困難です。それよりも数年掛けて、その数年先にそれが達成できる土壌を作ると言う方が現実的ですし、早く再生に迎えると考えています。教育と医療の環境を整えることが、企業誘致に必要な先決問題です。

「こんな話だったら楽しいし、もっと聞きたいです」と話してくれたように、夢と希望は現実を起点としてスタートさせないと空想になります。夢と規模、それと空想では進む先は全く違ったものになります。

知らないことを知ることは誰にとっても楽しいことです。そんな活動ができることに感謝しています。