活動報告・レポート
2010年10月12日(火)
行脚
行脚
三連休明けです。昨夜、祖母が亡くなったため、皆さんからの電話やメールが取れませんでした。連絡できたのは夕方以降となり、ご迷惑をお掛けした皆さんにお詫び申し上げます。自宅で転倒して腰を打ったのですが、それに起因して突然容態が変化し、突然の危篤状態から脱することが出来なくて、信じられないことに亡くなりました。気に掛けていただきました皆さまに感謝申し上げます。さてその後、約束させてもらっていた各所を訪問させていただきました。統一地方選挙に向けての報告、そして推薦をいだいた皆さんに対するお礼のため伺ったものです。
各所で温かい励ましをいただいたこと重ねてお礼申し上げます。
10年以上前に一緒に仕事をさせていただいたSさんからは、懐かしい話も聞かせてもらいました。その当時、南紀熊野体験博覧会実行委員会に出向したことを思い出しました。今思い返すと、当時の和歌山県は経済的にも心理的にも今よりももっと元気でした。あれから10年間、基幹産業がないまま推移していることは反省材料です。例えば堺市にはメガソーラー発電所が設置され、そして次の計画分が建設されようとしている状態にあります。雇用や経済効果は分かりませんが、何もないよりは地域への波及効果があります。11月からは見学の受け入れも開始されると伺いました。環境都市堺市を目指した取り組みと合わせて活性化させています。
そしてHさん。生憎急用で不在でしたが、途中連絡をいただきました。本当に久しぶりのためお会いさせてもらいたかったのですが、知人にご不幸事があり事務所を出掛けていました。後日、和歌山市まで来てくれると話してくれただけでも嬉しいことです。
Hさんとの出会いは20年以上前になります。一緒にアメリカに渡航し行動を共にしました。経済大国日本と二重の債務に苦しむアメリカの現状に接して、日本の未来は明るいものであると信じていました。アメリカに学ぶものは少ないという感想を持ったことを覚えています。
ところが立場は逆転し、アメリカ経済も痛んでいますが、日本経済はもっと痛んでいます。アメリカを超えたと思っていたのは間違いで、本当に1980年代の日本が世界をリードしなければならなかったのです。日本が基軸通貨を目指さなかったこともあり、世界経済は金融工学という変な方向に向かいました。円が世界を支配する日は永遠に遠ざかり、ドル支配は続き、そこにユーロが絡んでいる状況となっています。円は基軸通貨安定のための犠牲になっているような感もあり、日銀の市場介入の効果はなく円高は止まらないばかりか、日本の富が流出し続けています。
1980年代にHさんと思い描いた日本の未来は、相当違った方向になっています。でもこれからは私たちの年代が社会をリードしていくことになります。これからの10年先に見る夢を現実化させるために、近いうちに会って話し合いたいものです。
多くの皆さんの期待を背負っていることを知り、重い荷物が軽く感じました。責任は重いのですが、心理的な重さはなくなりました。統一地方選まで後半年です。期待という思いが私を先導してくれます。家に帰って思い出しているは、今日会った皆さんの笑顔だけです。笑顔が元気をくれる。これだけで十分な今日の報酬です。皆さんに感謝しています。ありがとうございました。
懇親会
夜は懇親会を開催しました。来月11月にYさんが挙式をあげるお祝いのためです。少人数の5人でしたが、かつて同じ職場で仕事をした仲間の集まりでしたから、お祝いの空気は濃かったと思います。お会いしたところ、当時の担当者が姿を変えて社会的に発言力のある場所にいました。でもここから先の頂は狭く、厳しくなっていきます。悪天候もあるでしょうが、志を掲げて歩くと道は示されそうです。
楽しいひと時を与えてくれた仲間に感謝しています。
その他
- 仕事の報酬は仕事の姿でやって来ることを実感しています。携帯電話とメールが溢れかえった一日でした。
- 宇宙ホンモノ体験の、これからの取り組みに関して少しですが構想を話し合いました。折角、和歌山県として素晴らしいプログラムを作成したのですから、実践する機会を作りたいと考えています。和歌山県の誇る、今回参加してくれた教師の皆さんとの連携を保ちたいと考えています。
- 堺市の包丁を世界で広報してくれている日本人が、ニューヨークで活躍していると聞きました。来日する機会があれば日本の伝統を世界で広める方法を聞いてみたいものです。紹介してくれる日を楽しみにしています。
- 血圧が上昇して目が見えなくなった患者さんの件を対応しました。急を要するは案件でしたから最優先で対応しました。